1LDK

⚠️注意⚠

以下の文は全て個人の勝手な解釈です。本家様とは大幅にズレている部分や、皆様の解釈とは全くの別物であるケースがあります。分別のある方のみご覧下さい。

書き手は、以下の解釈が絶対的であるとは思っておりません。誤字脱字あります。

文章能力がないので、チグハグな文章です。

 

 

ーCommon conceptー

◾憧れがあり、好きが根底にある。

◾音楽を作り始めたきっかけって何だったっけ?と思い、できた曲。

◾憧れと現実との間で揺れる葛藤が綴られている。

◾Reolが東京に留まっている理由。

 

 

※1LDKの動画と歌詞の両方を解釈しております。

 

この作品には、登場人物が歌詞内には3人(僕/あんた/あなた) 動画では2人(Reolとダンサー)登場します。

まず、歌詞内の3人の人物を分類すると、

【僕】…現実の生活を送っているれをる本人(※以下、れをると表記)

【あんた】…アーティストとしてのReol。れをるが向ける感情は、゛負゛に近い。

【あなた】…アーティストとしてのReol。上記の(あんた)と同一人物であるが、れをるがこちらに向ける感情は゛正゛である。

動画内の人物を分類すると、

【Reol】…現実の生活を送っているれをる本人

【ダンサー】…アーティストとしてのReol。負も正も兼ねる。動画での表現は、意志を持たず、感情のない人形のような存在に見える。憧れの具現化?

 

さらに、時系列についても分類できることが歌詞から見て取れる。「超越」の後の゛する゛の文法から分けて考えた。

1Aメロ〜…【過去】音楽を作り始めた頃

(※超越した)

〜2サビ……【過去】半ば(※超越してよ)

大サビ〜…【現実】今(※超越したの)

 

以上のことを念頭に置いて、下記を読んでいくと分かりやすいと思います。

〇…動画の解釈。

 

 

1LDK

 

歌:Reol

作詞:Reol

作曲:Reol

 

 

【新聞の一面に 僕の名前見出しで】

〇新聞が切り抜かれ、※れをる 自身が映っている。これは、Reolではなく れをる側からの視点の始まりであることが分かる。


【あんたの気を惹きたい】

〇階段に登りながら、何度も鏡に映る自分に向かって歌う場面がある。歌詞内にも"あんた"と表記されていることから、Reolに対する負の感情を訴えていることが分かる。


【今日じゃないと 絶対だめなんだよ】

"今日"と断定する表現から、未来に対する恐れや不安を抱いている。


【黄色い線の上 ギリギリのステップで踊っている うまいこと染まれないよ】

"黄色"は、注意の意を表す。1本の線を引いた時、ラインを境にしてA側とB側に分けられる。この意は、れをるの2つの世界を表していて、仮にA側をれをる(自身)の世界と置くならば、B側はReol(アーティストとして)の世界となる。つまり、その2つの世界の境界線の上で、"れをる"はアンバランスさを保っているということ。どちらにも傾くことが出来ずに、不安定な状態を表している。

〇Reolが階段をひたすらに上がっている場面がある。階段を上がっていくシーンは、音楽活動を続けていく、Reolを演じ続けていくということ。何度も鏡の自分(Reol)に歌う場面では、今のままで良いのか、訴えかけているようにも見える。


【借りもんの個性的じゃ減点】

借り物の個性=他の作品の模倣や真似、減点=評価されない、世に受けない、という意味のことで、オリジナルの楽曲で万人受け(減点という第三者からの評価基準から)する作品を、生み出さなければならないという焦燥感やプレッシャーを表している。

 

【面倒事にノックダウン 一人暮らしはまあキツいです】

面倒事=他者からの評価や、やりたい事に規制がかかってしまう仕方の無い現状。一人暮らしは孤独の意味があり、辛い事を全て自分で抱えなくてはいけない現実。

〇幾つかの額縁を見ながられをるが歌う場面がある。額縁一つ一つはReolが今までに作ってきた音楽作品であると予想される。


【表参道から松濤】

【僕はダンサーインザダーク】

ダンサーインザダークは、辛い現実から目を背けてイマジナリーな世界に逃避する女性が主人公の悲惨な映画である。Reolは、れをるが創りあげた架空の世界で、アーティストとしての活動に憧れる夢そのものである。


【安月給で惨敗 まだ工事終わんないし】

前の歌詞の対義語であると考えられる。こちらは、れをる自身の現実を表しており、工事が終わらない=中途半端な状況を表している。

〇ダンサーがここで登場、鏡越である様子は まだれをるがReolを、自身であると思い込めず、客観的に見ている状況を示している。初期。

 

【好き嫌い 大都会】

憧れた空想世界(音楽活動)と、厳しく孤独である現実との両方を表している。

 

【イヤフォンの向こうで 歌う声に焦がれている】

Reolに対しての憧れ、理想のビジョンを感じている。


【劣等感、厭世的な気分で朝を待って】

"朝を待って"の文章から、この行の時系は夜で、活動をしていないれをるの時間を表す。"厭世的に待つ"という歌詞から、状況の対義語で、憧れたReolを演じ続けることの苦痛さを歌っている。


【こんな思いを知っても 鼓膜の上であなたが  クソみたいな現実を一瞬光らせるから、超越した】

それでも、音楽活動を諦めきれない意地が歌詞から見て取れる。"超越した"という文章から、Reolの存在が世論に響いた手応えのようなものを感じたのではないか、と考察する。

〇ダンサーと背中合わせになり、押しつぶされるような場面がある。Reolの存在が世に知れ、大きくなっていく現実を、現実に受け止めきれていないのではないか、と考える。

 

【ねぇ、表は危ないよ センセーションなんざくそ喰らえだろ】

"表"とは、Reolとしての舞台のこと。世間からの評判を気にする自分を皮肉に思う表現である。


【あんたの卓越は若さやお金じゃはかれないのに】

自身が生み出した作品にラベルが貼られ、価値をつけられて売られていき、他者から評価が付いてしまう現実を憂いている。

〇ダンサー(Reol)に向かって、強く歌い上げるシーンがある。上記の気持ちを乗せて、思い悩む姿を表していると考察する。


【名声を強請って 無いもの見栄張ってる

着飾るばかり 都会】

音楽活動を続けていく中で、実績がなければ、アーティストがやりたいことを自由に実現するのは困難である。Reolはその自由を実現するために、世間に受け入れてもらえる作品やアプローチを 妥協でもしなくてはいけない。1行目の歌詞は、そんな世間に虚勢を張ろうとする自身を嘲笑う歌詞である。

〇階段のシーンで、あがっていくれをるをダンサーが抜き、先に行ってしまうシーンがある。これはReolが大きくなってしまい、自身の感情が追い付いていないことを表している。

 

【イヤフォンの向こうで 叫ぶ声に正されている】

Reolの音楽をイヤフォン越しに聴きながら、Reolが自分自身であると実感しつつある。


【嫌悪感、肯定できない僕が嫌になって】

憧れとのズレから、"Reol"を自分の中で受け入れ満足することが出来ない れをる自身に嫌気がさしている状態。

 

【こんな思いになって尚 “なんとか”を保てるのは 嘘みたいな理想の何処かあなたがいるから、超越してよ】

それでも音楽活動を、Reolとしての自身を辞められないのは、やはり根底に"憧れ"を叶えたいという気持ちが存在している為。"超越してよ"という歌詞から、Reolに対する願いが現れている。

〇"超越してよ"というシーンでは、カーテンに仕切られたれをるの部屋、1LDKを表現している。トイレットペーパーやハンガーなどの日用品や、バナナや水などの食料品があり、自身の部屋で本音を吐露している。

 

【五線譜の上のさばる本音 折れそうな僕は神頼みだ】

Reolの音や歌詞に、れをるの思いや本音を載せて気持ちを吐き出している。神頼み=Reolにれをる自身の今を救って欲しいと、憧れを形にしてほしいと願っている。


【本当は何も願っていない うつった癖が直らない】

一方で、売れたい、評価されたいとは思っておらず、Reolを世間から求められ、れをる自身が否定されてしまうならば、辞めてしまいたいという自己矛盾に陥っている。"うつった癖"=れをる自身がReolに侵食されつつあるということ。


【芸術(アート)なんて音楽なんて
歌をうたったからなんだって 絵を描いたって足しにならないから辞めちまえば

芸術なんて音楽なんて音楽なんて
音楽なんて音楽なんて音楽なんて もうくたばれ】

どうにもならないやるせなさや、モノを作り出すことの意味・目標が分からなくなってしまっている状況である。


【芸術なんて音楽なんて何もなくっていなくなって 価値をつけて選ばれなくて 憧れだけ】

現実での苦労や負担、精神的苦痛さを直情的に表した歌詞である。

 

【イヤフォンの向こうで 歌う声に焦がれている 劣等感、厭世的な気分で朝を待って
こんな思いを知っても 鼓膜の上であなたが
クソみたいな現実だとしても光らせた】

ここでのサビは、1サビと同じ感情で、"光らせた"の末から過去のことを表している。現実の感情はここのサビではなく、次の大サビである。並べることで、れをる自身の感情がどのように動いたのかが分かりやすく、感じ取れる。

〇れをるとダンサーが画面に目まぐるしく入り交じっている、これはReol自身を受け入れようとするれをるの心の動きであると考察する。

 

【イヤフォンの向こうへ 三分と少しの間だけ
全能感、革命的な気分でいさせて】

れをるの中で様々な葛藤がありながらも、憧れを実現できるのはれをるであり、Reolであると受け入れている。"3分と少しの間"=1曲のことであり、一作品にれをるの感情が込められていることが分かる。


【そういつだって指先ひとつで [再生]
ありふれた生活 殴り込んであなたは
クソみたいな現実を たった一小節で変えて】

れをるが、Reolに対する願いをあらわにしている。

 

【超越したの、1LDKで】

れをる自身の気持ちに一先ず区切りがついた、過去形を用いている。

〇ダンサーが持っていた額縁(作品)にれをる自身が入っている。"芸術なんて 音楽なんて〜"のシーンでは、幾つもの額縁を外し、時には叩きつけるように地面に投げ付けていた。また、上記のサビ(過去を表す)では、ダンサーが掲げた額縁を思い切り跳ね返すシーンがあった。この違いから、れをるがReolとの在り方を受け止めたことを表していると考察する。

〇最後のシーンの新聞には、れをるではなく 金字塔のジャケットであるReol自身が写っている。これも、自身の中の葛藤が払拭されたことを意味している。

 

 

 

ーあとがきー

この"1LDK"は歌詞そのものが直情的で、解釈する必要あったかな?と思いはしたのですが 私自身が「金字塔」の中でも1番好きな作品で、MVも大好きな番場監督とのコラボだったので、つい個人で纏めたものを公にしました。

私は音楽活動をした事がないので、アーティストとしての苦痛や喜び等の感情は分かりません。Reolは数年前と違って、とても大きなものになりました。YouTubeチャンネル登録者数はとんでもないし、Twitterには公式マークが付くし、今や名のあるアーティストがReolのアルバムを聞き、称え評価しています。そんな大きくなってしまったれをるを、正直 私は"何処か遠くに行ってしまった"と思うことがあります。それは、ギガばなやNo titleを出した時もそうだし、極彩色や∑、そして虚構集を発売した時もそうでした。どんどんビックになっていくことを嬉しい反面、寂しいと思っていましたが、もしかするとれをるさん自身もそう、感じていたのかも知れません。1LDKで1人、パソコンに向かって歌を作り、感情をガリガリと削るのは本当に苦痛だと感じます。それでも、懸命に前を向いて。例え虚勢だけで進んでいたとしても、それは彼女の強さだと、思うのです。

ハーメルンの大号令の札幌公演で、Reolさんがこの歌について語って下さる場面があり、とても深い曲なのだと改めて、気付かされました。

前々から自分の現状と被り、やるせない感情を昇華してくれる大切な曲だったのですが、札幌のライブを経て よりReolさんを身近に感じ、好きになりました。ライブとは、作品の印象を変えるきっかけにもなり、それが公演ごとに違う意を持つので不思議ですね。中止になってしまったライブに、酷く心を痛めております。行きたかった。

でも、このご時世なので。今やれることを、やる、のReolスタンスで、私も今できる精一杯に務めたいと思います。

 

そしてこの度はアンケートに御協力頂き、ありがとうございました。詳しい結果はTwitterの方を見ていただければと思います。最多投票は「No title」のアルバムで、結果から見えてくるものもあり、皆様のお陰だと心より感謝しております。

 

"激白"同様、「自分はこうだと思った」と違う意見をお持ちの方は是非 聞かせて頂きたいと感じております。そのために恥を忍んで、公開していますので。

 

ここまで見て下さり本当にありがとうございました。