れをる/REOL/Reol の音楽と共に歩んできた10年間

 

 

 

REOLと会えたのは私の人生で最大の奇跡だと思う。好きになって11年目になるけれど、変わらず大好きで。これから、私の人生が続く限りも応援し続けていきたい。

 

⚠️これは、ただの私の人生記録です。ユニット時代やReolの歴史を綴ったものではなく、彼女らの音楽と共に歩んできた私自身の日記です。見て不快な気持ちになる方もいらっしゃると思います。

出会ったのが夏だったので、夏〜春までを1年に計算しています。間違えてるところもあるかと思いますが、ご了承くださいませ。

 

 

 

 


☆1年目 2012ー2013

⇒ニコ生主引退

⇒歌い手主軸、ニコ生たまに

 


夏?

10年以上前のことなのでいつだったか曖昧だけれどあれは2012年の夏だったように思う。大好きだったニコ生主、お菊と仲が良かったれをるを好きになるのは必然だった。2人で笑いながら、楽しそうに放送する姿にほっこりした。こんな毎日が続けばいいと思ったけれど、コミュの解散はあっという間だった。私は最後を見届けられなかった、人生最大の後悔。後日リアタイしていたリスナーからは、元気よく゛ばいばい゛でその最後を締めくくったらしい。人から聞いた自分に腹が立ってやるせなかった。

 


2人で配信することは極限に無くなってしまったけれど、歌ってみたの作品は増えていった。高い高音と特徴のある声に、素敵な動画。このタッグは最強だと再認識したし、どんな形であれ活動をしてくれることが嬉しかった。

 


れをるとお菊に新しい友達ができた。ギガと名乗る彼は、とても個性的で無口なボカロPだった。一緒にニコ生をしている時も、れをるがいないと喋らない彼が不思議だったけれど、3人が作った「ギガンティックO.T.N」という曲は、最強で、どハマりした。ミリオン手前の時は、動画に張り付いて達成祝いをした。有名?な゛サリシノハラ゛放送は1部事故!?がありながらも、楽しそうだった。

 

 

 

 


☆2年目 2013ー2014

⇒「ぎがばななざべすと」発売

⇒゛れをる゛名義初ライブ

 


ちょっとずつ、色々な歌い手さんとのコラボが増えてきて 歌をあげることも多くなってきた。冬手前には、すっかり3人で作り上げる作品に虜になり、歌ってみたの動画を今か今かと待ち続けていた。やっぱりれをるの歌が、お菊の動画が、ギガちゃんの音が大好きだった。

 


7月に、1本のクロスフェードが上がった。「ぎがばななざべすと」ギガちゃんのアレンジに、豪華な歌い手が参加。もちろんそこに、れをるはいた。クロスフェードの完成度にはとても、驚いた。自分では素人と言っていたお菊の技術に圧倒された。生放送で、はにかみながら「上手にできたからみて!」と伝えていたのを今でも覚えている。CDはもちろん購入した。そこには、゛ライブのチケット゛を購入するための番号が記載してある1枚の紙が同封されていた。場所は東京。辺鄙な地方に住む学生の私には、未踏の地だった。県内からあまり出たことのない私は、ライブを、断念した。

その紙は今も大切に、とってある。

 


進学により環境が変わり、戸惑う中で 変わらずに彼女たちの音楽がニコニコ動画にあることが、心の支えだった。少しずつ生活になくてはならないものになっていった。

 

 

 

 


☆3年目 2014ー2015

コミケにて「No title」発売

⇒歌い手のライブに出演するように

 


歌ってみたの動画がどんどんとあがるにつれて、れをるのライブへの参戦が増えて来た。けれどやはり舞台は全て東京。東京から離れている地方民にとって、東京へ行く決意をすること、それはとても大きな決断。お金も高いし、当時はスマホが復旧して間もない。迷って迷って、諦めて、迷う。悔しい、私は3年も好きなのに。東京に住んでいて最近好きになった人はすぐに彼女に会えてしまう、悔しい、会いたい。そんな嫉妬が当時は渦巻いていた。この時の私は地方という柵があまりにも高く見えてしまって、飛び越える勇気がでなかった。

 


はじめて作った作品がコミケで売られることになった。「No title」題名のないその作品、「あにょすぺにょすやや」という摩訶不思議なサークル名。゛あにょ゛というのは、当時のギガちゃんが「あにょあにょ言ってたから名付けてみた」と言っていたが、私が初めに聞いた放送では、マニアックな掲示板でやり取りをしている男の口癖...?が流行ったから?だったような気がしたけど、、聞き間違いかもしれない。ついでに、その掲示板の話題で彼女らは仲良くなったとのこと。「No title」は歌ってみたの作品ではなく、3人で作ったオリジナルソング。曲リストをみても、「ギガンティックO.T.N」しかわからなかった。当時の私は、根っからのサブカルチャー文化に夢中で、とにかくパソコンに齧り付いて動画ばかり。CDというのは買ったことがなかった。私にとって、また未開拓の地で、心が踊った。歌ってみたを続けるれをるがどんな曲をかくのかも楽しみだった。でもコミケは東京。行けない。通販での販売もあり、そこで購入した。けれど、当時の私はずっとモヤモヤしていた。このまま活動を続けていくにしても、東京に住む彼女の拠点が動くことは無い。地方公演はない、アーティストではないから。わかってた。このまま置いてかれるような気がして、嫌だった。同じファンのツィッターを見るのも、辛かった。

 


「No title」は、私に新しい世界をたくさん見せてくれた。ボカロっぽさをあまり感じない楽曲たち。私は、-が好きだった。聞き慣れたVOCALOIDよりも、れをるの歌声が大好きだった。当時はやっぱりなんども動画をリピートしていた「ギガンティックO.T.N」が一番大好きだった。

けれど、不思議と自分の人生の経験値が増えていく度、心に残っていくのは「No title」だった。アルバム、CDを聴き込むということが今まで無かったので、不思議な感覚だったけれど この先もずっと聞いていたいなと、感じた。人生に彩りが増えた瞬間だった。

 

 

 

 


☆4年目 2015ー2016

⇒「極彩色」発売

⇒初のワンマンライブ 「極彩色 High Fidelity」

 


「No title」に続く、新しいアルバムが発売されることになった。タイトルは「極彩色」今までとは違う、アーティストっぽさを感じた。収録されている曲には、カバー曲はなくて、書き下ろしの楽曲。さらに、ボカロバージョンの発売もない。歌い手と言えば当時はカバーやアレンジをしたものをCDにすることが多かったので、「極彩色」は異例とも言える内容であった。れをるという音楽性が確立したと気づいた。次々に発表されるジャケ写、店舗特典、限定版、クロスフェード…etc ついて行くのにいっぱいいっぱい。全部が私にとって初めてだったから、店舗特典、店舗ないけどどうしよう、限定版ってなに!?と頭の中はパニック状態。でも、とても楽しく感じて、ドキドキして。れをるたちもとっても、楽しそうで。「No title」とは違う、プロ意識を感じた。この時に、あぁこの人は歌い手じゃないものに羽化するのかも…と感じた。そうなったら、ついて行こうと。

当時の私は将来の進路を決めないといけない、分岐点に立っていた。何がしたいのか、何になりたいのか、将来のことが何も見えなかった。ずっと身近にいたものが、一気に幾つも消えてしまうことがあって、パンク状態だった。気持ちが将来なんてくだらないものに向かなくて、どん底だった。れをるの歌や、生放送だけが、全てを忘れさせてくれる唯一だった。

追加で告知があった。ライブがあるようだ。今回は、東京だけではなく、大阪も。自分が住んでいる場所から比較的近い大阪、そこで大好きな彼女に会えると私は歓喜した。ライブに行けば、何かが変わるかもしれないと感じたから。進路用紙は白紙のまま、教師たちの小言をスルーして学校を休み、大阪行きに1人で飛び乗った。TwitterSNSで繋がった友だちなんかいない、一人で行ったことないし、ライブがなにかも分かってない。けれど、彼女らのライブがどうしてもみたくて、顔出しもしていない彼女らに直接会ってみたかった。

 


ライブはあっという間だった、緊張を帯びた開口一番の極彩色も、人に潰されそうになるあの熱気も、大きな画面に流れるお菊の映像も。無我夢中で叫んで、飛び跳ねて、拳をあげて。こんな楽しい時間がこの世にあるのだと感動し、最高だと思った。ずっと、ここにいたいと思った。やっぱり大好きだった。

その後のホテルでは、興奮がさめやらず 眠れない。アルバムを聞く度に思いだす、あの日のライブの光景を。

私はれをるのいる東京に行こうと決意した。彼女らのライブをみて心の何かが動かされた瞬間だった。

 


☆5年目 2016ー2017

⇒゛REOL゛ユニット結成

⇒゛TOY'S FACTORY゛事務所初契約

⇒アルバム「∑」

⇒ライブ「テンカイノコウシキ」

 


東京へ行きたいと決意したけれど、現実はそう甘くない。行きたいです、はいどうぞ、とはいかない。親を説得させるには不純すぎる動機、でも彼女以外目標はない。結果、れをるが住んでいたという中部地方に移ることにした。ここで勉強と人生の経験を重ねて、東京へ向かう。

 


夏秋

歌ってみたはたまに上がるものの、極彩色のような大きな告知はない日々が続いた。もしかすると動画をあげるペースも遅くなっていって、自然消滅するのでは無いか、と心の何処かで思うことがあった。「極彩色」のパンチはとても強く、その後の静けさは異様だった。最近あげた3人の写真の真ん中に写っているれをるは、見た事のない黒髪だった。しかし、それは急にやってきた。新アルバム゛∑゛の発売が決定。突然やってきた顔出し、ユニットの結成に事務所の契約。静けさは一気に失って、情報が踊るように増えて加速していく。頭はパンク寸前。でもこれはれをるの復活で、REOLの新しい幕開け。顔を出して何かをする3人に慣れない違和感を覚えながらも、CDを買った。

 


ユニット初のライブをするらしい。東京、大阪、韓国。韓国は少し難しかったが、東京と大阪には直ぐに行く決意をした。東京、そうこれまでのリベンジを果たすのだ。手元のチケットは、大都会への入場券のように感じた。この感覚はきっと、一部の人にしかわからない。学生には、自由に使えるお金は限られていて、深夜の格安バスで向かった。東京お台場に着いたのは午前4時。こんな時間から物販に並ぶのは流石にきつい、真冬 2月のことだった。近くのマックで時間を潰して、朝日が完全に顔を出してから物販に並んだ。当時は物販に並ぶ時間などは定められておらず、グッズが売り切れになってしまうことを危惧して長時間 足を酷使することを選んだ。お昼になると、立ちながらご飯を食べた。足先から感覚がなくなって行くような冷えを感じたが、知り合いも居ないため途中でトイレにも行けない。7時間くらい経つと、物販はようやく開始された。お目当ての物は全て買えたが、やはり時間通りに並んだ人たちは買えなかったようだ。そうやってライブのノウハウを学んでいった。

ユニットのライブは凄かった。3人とも、舞台の上から堂々と披露していた。極彩色のライブはバンド形式で、お菊とギガちゃんは最後の挨拶しか顔を出さなかったので、今回は本当にびっくりした。れをるの歌だけじゃなく、観客を湧かせるパフォーマンスと映像の数々。ホッコリしたり、時に激しくなったり、今のReolとは違うものがそこにはあった。でもそれは紛れもなく、エンターテインメントで、心に電撃がはしった感覚があった。3人の初ライブは大成功だった。長く続けると誓ってくれたあの日の目標を、その時は疑わずに信じていた。

 


☆6年目 2017-2018

⇒「エンドレスEP」

⇒ユニットラストライブ 「終楽章」

⇒ユニット゛REOL゛解散

⇒゛Reol゛名義に変更

⇒゛ビクターエンタテインメント゛所属

⇒アルバム「虚構集」

⇒ライブ「刮目相待」

 


REOLが解散することになった。いつも通り届いたREOLからの通知『終楽章』の文字。何かの間違いかと思ったけれど、現実だった。足元が真っ黒になった気分だったけれど、なんとか東京と大阪のライブチケットを購入した。ユニット最後の音楽はアルバムになることなく、EPに留まった。こんな形でも世に出したいと、必死に抗議してくれたのが痛いほど伝わった。収録は4曲、新曲は3曲。終わりに向けて少しずつ準備が整っていくのを、痛いほど感じた。

ユニット最後のライブは、本当に楽しいひと時だった。やっぱり3人で生み出すパフォーマンスと音楽は最高で、最強で、無敵。なんで、どうしての気持ちはもちろんあったけれど、私は1人のリスナーで、3人がそう決めたのなら最後まで応援し、ついて行くまで。曲が1つ1つ終わっていく度に、タイムリミットの時計の音が聞こえる気がした。あの時のライブ映像はないし、2回だけの公演だったけれど、鮮明に景色と熱量と胸から湧き上がってくる感情は覚えている。笑顔で見送った3人には今後会うことができない、東京公演終了のアナウンスが鳴るとその場で崩れ落ちて泣いた。

 


毎日がぼーっと過ぎていった。タイミング悪くリアルでも色んな大切なものがまた無くなり、帰る場所すらなくて。気付いたら分からない場所で1人泣いている毎日になっていた。聞きたくないのに、聞いたら逆効果なのに、少しでもライブの幸せを思い出したくなってエンドレスEPの再生ボタンを押した。けれど溢れてくるのは辛い感情と、部分的に切り取られた最後のライブ映像が脳裏から離れない。唯一の救いは、Twitterで彼女らが呟いてくれる事だった。

 


ある日、ひっそりとれをるが動き出した。もう1度、私の世界が色付き始めた瞬間だった。名義が変わる、事務所が変わる、ソロで駆け出していく。嬉しい嬉しい嬉しい。彼女がこんなにも辛い中で、前へと進もうとしていることに、自分も今を立て直さないとと思うようになった。毎日泣いて過去に縋って過ごしていた日々は、ある日12時に降ってきた新曲が壊してくれた。バラバラにしてくれた。彼女にとっての呪いの歌に助けられた。

 


そこから、Reolとして息を吹き返していくのに引っ張りあげられるように自分も生計を建て直して行った。彼女と一緒なら、もう一度絶望からでも這い上がって自分の足で立ってみようと思えた。ユニット時代とは全く違い、Reolの世界観はれをる中心だった。そこに違和感を感じるファンもいたけれど、私にはストライクで心臓に矢が刺さった。強くありたい、強くあろうとする自身を鼓舞して少しでも前へと踏み出していく背中を見て、カッコイイと感じた。そんな彼女がハイスピードで生み出していく曲がどれも大好きで、シンガーソングライターらしさが増し増しなライブは最強だった。苦しみ辛さをバネに変えて、異様なスピードで曲を生み出してライブを重ねていく。きっと、当時は今よりも休む暇なんてなくて必死だったのだろうな、と思う。でもそれに遅れを取らぬように自分を振り返りながらも、その後ろを追いかけていく毎日は刺激的で非日常で、本当に楽しかった。舞台に立つ回数を重ねれば重ねるほど強く、美しく、尖っていく。Reolは無敵だ。

そんな絶望のドン底から無理をしてでも這い上がっていく姿をみて、自分もこのまま悲しむだけではいられないと思った。我武者羅に、少しでもいいから前へ。『泣かないでほら顔を上げて』『誠実な味方はいつも過去の自分』『ない才能を作れ』彼女の言葉が背中をどんどん押してくれる、何も怖くない。

 


☆7年目 2018-2019

⇒アルバム「事実上」

⇒ライブ「MADE IN FACTION」

⇒EP「文明EP」

 


春から念願の東京へ上京することになった。そのための準備は万端過ぎるほど万端で。自分で持ってきた有無を言わせない切符を身の回りの人に叩きつけて、彼女のいる東京へ。『東京は雑多で楽しいところおめでとう』と、大好きなれをるから嬉しすぎるコメントを貰った。これはもう頑張るしかない。緊張と少しの不安と期待をごちゃ混ぜに、寄り添ってくれたのは文面EP。新しい何かに飛び込んでいく自分にこれ程心強い共はいない。

 


☆8年目 2019-2020

⇒ライブ「文明ココロミー」

⇒ライブ「侵攻アップグレード」

⇒アルバム「金字塔」

⇒ライブ「ハーメルンの大号令」

 


夏秋冬

『愛すべき東京』『着飾るばかり都会』『大都会ここは何もない』と歌っているように、東京はコロコロと姿を変える。地方から上京を経験したことのある人なら、誰しもがきっと感じることだと思う。ゼロからここでリスタートした私は完全に飲み込まれていて、まさに「ゆーれいずみー」そのまんまだった。Reolのライブに参加することだけが生きがいで、それ以外は自分の心の中には誰もいない生活。屍のように毎日を重ねていった。本当に辛い日々が続くと、段々と自分が好きなものが分からなくなってしまう。朝が怖いから夜中まで起きていて、それでも睡眠が必要だから寝て、厭世的な気分で朝がくる。でも、Reolの音楽だけは私の中でずっと生きていて血のように全身に巡り、生を感じさせてくれた。悲しさ、虚しさ、孤独な気分をReolの音楽にのせると、うまく泣くことができた。『音楽なんてアートなんて』と歌っている彼女はそれでも舞台に立って歌うし、曲を作り続けている。辞めはしない、そんな信念に自分も置いていかれなくない。ここで止まると、きっと背中はもっと遠くなってしまう、そんな気がして。

 


久しぶりにお返事が貰えた。嬉しかった。元気にやってるのかな、大好きなゲームはやれているのかなとふとした瞬間に過ぎる。どうか、毎日健康で元気でいてほしい。

 


Reolのライブが止まった。新型コロナウイルスの影響で、当面の間直接会う機会が奪われてしまった。ライブの最中だけは自分が自分でいられる唯一の時間だったから、その喪失感は計り知れないものだった。次はいつ会える...?なんて、今までが幸せ過ぎたのかもしれないと、ユニット時代と解散期を振り返って思う。これを機に頑張りすぎな彼女は少し休んで欲しいな、と思ったけどきっと変わらずに曲を作り続けているんだろう。

 


☆9年目 2020-2021

⇒ライブ「音沙汰」

 


そう思っていると、突然現れたのは「第六感」これは、今までにない程Reol界を揺らした作品となった。彼女らしくない前向きどストレートな曲。まさかこんな曲が来るとは思ってもみなかったし、それに感化を受けてReolの魅力に気付いた人がどんどんと虜になっていく。戸惑っていると、お菊のリリックビデオが上がった。1歩1歩前に踏みしめていく足跡に、今までの過去。そして、懐かしい鳥居の風景を見た瞬間、ボロボロ泣いた。悲しさを思い出したんじゃなくて、嬉しいなって、動画を前に号泣した。やっぱり3人で作った音楽は、色んな人の心に響くし、無敵だし、勇気を与えてくれる。酷く懐かしい気持ちになって、私は再び立ち上がることができた。まだやれる、戦える。

 


久しぶりにライブの告知があった。しかし、本来の形ではなく声を発することはNGで、なんと全席指定らしい。Reolのライブで座ったことがあるのは社員総会の時のみ。普段とは違ったパフォーマンスに圧巻されたのは言うまでもない。そういえばいつだったか、激しいライブもいいけれどクラシックのような形でもやってみたいと言っていた言葉を思い出した。いつもの拳を上げて汗を滲ませながら全身の筋肉で飛び跳ね、体全てで音楽を感じるライブもいいけれど、今回のような形もありだと思った。何よりもアレンジがとても綺麗で、舞台で色んな姿を見せてくれる姿が素敵だった。「GRIMOIRE」では昔スタプラに出演した際の、「月のワルツ」の表現に似ていて懐かしいなと感じた。東阪の2公演だったので、楽しいひとときは直ぐに終わってしまった。けれど、久しぶりに直接見て、聞くことができたこの時間が何よりも変えがたく大切なのだと再認識した。やっぱりReolの音楽は、私にとっての生きるエンジンなのだ。

 


☆10年目 2021-2022

⇒アルバム「第六感」

⇒゛Sony Music゛に移籍

⇒ライブ「激情アラート」

 


秋冬

次々と新曲が上がっていく中で、引っかかったのは「boy」だった。他の曲に比べて歌詞に込められた感情が強く、異彩を放っていた。ファンからは事実か分からない憶測がネット上で飛び交う。ファンが介入してもいい域を超えているような気がしたので、ほんの少しの寂しさを感じながらも何も知らないままでいたいと蓋をした。アルバム「第六感」は、安定してきた現状を今一度見直し、自分は何をなすべきであるのか、更なる進化を遂げるには。1歩たりとも止まらずに加速を続ける彼女のように生きるにはどうすればいいのかを振り返ることになった。曲調としても新しいものを取り入れているし、大衆に向けて分かりやすく響きやすい音に変化してきているのに気付いた。しかしそんな中で、過去の傷を完全に過去に仕舞ってパッケージされたようにも感じた。新しいけど何処か切ない、そんなアルバム。過去の自分が積み上げて来た経験を、殺さずにどうやって活かしていけばいいのかを問われているようにも感じた。

 


運命的な出会いがまた巡ってきた。見つけられたのは本当に数奇な運命と言いたい。久しぶりの姿は元気そうで、あの時と似ているようで違っている笑い声で周りの人達を元気にしていた。元気で笑ってくれていて本当に良かったと安堵した。辛い思いをしてるんじゃないかって、責任感が強くて1人で頑張りすぎていた頃を懐かしく思った。今でも頑張りすぎていることもあるけど、沢山の新しい仲間に囲まれて 再び現れてくれていた事が嬉しかった。『またどこかに行ってしまっても、必ず見つけてね』と、熱すぎるお返事を貰った。彼女はもうあのアカウントにはログインしないだろうと思う。でも、どんな形になったとしても私はずっと応援してる。

 


ファン待望のライブツアーが復活することになった。「激情アラート」と名付けられたツアーは5都市を回り6公演。久しぶりの感覚過ぎて感動で全身が震えた。声出しはダメだし、変わらずの座席指定ではあるものの、以前のライブに近いスタイルだった。こうやって、またライブがライブらしい形に戻っていくのを今でも楽しみにしているし、新規のファンの方にも味わって虜になってもらいたいと思う。Reolの音楽はアルバムだけじゃなくて、ライブを通して更に完成度が増す。この日のために生きてきたのだと、生を感じる瞬間に立ち会えることは、幸せなこと。新しい仲間がどんどん増えて、世に轟いていくのが嬉しいし、自分も永遠にその一端でありたいと思う。

 

 

 

 


☆11年目2022-

⇒シングル「カラードディスク」

⇒ライブ「新式浪漫」

 

 

 

 


10年間を振り返るとあっという間に過ぎていったようにも感じるけれど、濃密な時間だった。多感な時期に彼女らと出会えていたからこそ、自分の道を見間違わずにまっすぐ進んでこれたように思う。私は今まで何かに執着をすることが無かったから、こんなに好きになれている今に驚きを隠せない。辛い時期にれをる REOL Reolの音楽に自分の人生を相談して、彼女の生き様で方向性が見えてくる。人生には色んな分岐点があって、それを間違えるとゲームオーバーになってしまうんじゃないかってずっと思っていた。だから現状に自分から囚われることもあったけど、怖くても前に踏み出す姿を見せつけられたら自分も歩みたくて仕方なくなる。誰にも頼らず1人で立って生きていく自分の状態で、一生懸命な姿を応援していきたい。だから周りに何も言わずに1人でここまで来た。随分前の配信で、れをるがリスナーに何の曲が好きかを聞く放送があった。それを尋ねられた時、私はこれが好きと言い切れる曲が1つも出てこなかった。こういう時(楽しい、悲しい、嬉しいなど)にはこの曲というのがあるが、゛好きな曲゛と一括りにされてしまった時に何も出てこなかった。どの曲も全部が大切で、色んな思い出が詰まっていて選べない。そっとコメントすると、『それは、本当に大切な時間を私の音楽と一緒に過ごしてくれてるってことだと思う』と返事を貰えた。その言葉を聞いて胸が熱くなった。長い時間共に寄り添ってくれた音楽たちだからこその、選べない思い。彼女の言葉がとても嬉しかった。

私はとても卑屈で、性格がひん曲がっているから他者の言葉を素直に鵜呑みにできない。正しいことを言ってくれていたとしても、腹が立って聞き入れたくないと思ってしまう。思春期には特にそれが顕著で、つい攻撃的になってしまうことに自己嫌悪することもあった。そんな中で、彼女たちの言葉や音楽だけは胸に響いた。人生の先輩でもあるし、尊敬する人。画面やイヤホンの向こう側にいるからこそ、強く、その思いが響くこともある。そうやって成長の手助けをしてもらっていたな、と今振り返っても思う。

これから20年、30年と 彼女たちが活動を終えるまできっと応援を続けると思う。どうか健康にだけは気を付けて、自分のことを1番に考えて欲しいと心から願う。大好きな人たちをこれからも、ずっとずっと応援していきたい。

 

 

 

10年間の感謝を込めて、ありがとうを伝えたい。