2023/4/30 ARABAKI ROCK FEST.23

⚠️記憶があやふやなところがあります。自己満足に綴っております。

 

set list

1. 劣等上等

2.SCORPION

3.煩悩遊戯

4.Boy

5.十中八九

6.新曲

7.第六感

8.煽げや尊し

 

 

荒吐フェスは今回が初参戦。宮城県の山中ということもあり、バスで揺れに揺れて少しだけ酔いながらも会場に到着。幸いに雨は降っておらず、過ごしやすい気温だった。半袖で少し肌寒いくらい。

 


今までのフェス会場は有名だったり、行きやすい場所だった為に人集りが多いイメージがあった。1時間以上前からハタハタステージでファンや、アーティストReolの存在が気になった方がどんどん集まって待ち遠しそうに待機する様子をじっとみていたけれど、普段に比べて全体的に間があり新鮮だった。

前に出演していた、バンドのセッティングが次々とステージの袖に履けられていく。そして、見慣れたお立ち台が手際よく作られて、気付けばReolのステージが完成していた。今回は、SNSで演者・ダンサーの前情報もなく、舞台上もお立ち台のみだった為に、久しぶりにReolだけのパフォーマンスが見えるな、と自分なりに期待が上がっていた。

Reolのステージはいつだって、その時々で変化する。Reol自身が1人で壇上に立つのは珍しいことではなく、久しぶりだなという感覚。ツアー〃新式浪漫〃を経て、Reolとしての物語の章が切り替わったようにも感じる。

 


フェスといえば、リハーサルが見れるのも醍醐味。今回もあるものだろうと期待しながら待っていたけれど、一向に始まる様子はない。30分前、20分…10分とゆっくり時が刻まれて、心臓の打つスピードがどんどん上昇する最中、【-BWW SCREAM-】が大音量で響く。Reolの音を代表すると言っても良い程、彼女らしさを全開に表したインスト。時間と共に加速していた心臓が、より激しさを増す。

 


会場の期待値が急上昇してから少し待機していると、お待ちかねのReolが舞台袖から姿を見せる。最後に見た姿は着物だったため、フェスの為に用意された衣装に身を包んだ彼女は新鮮だった。シンプル。でも、Reolらしい衣装。

 


バチッバチッと音がステージを揺らして【劣等上等】が始まると、会場は一息のんだあとに歓声が湧き上がる。久しぶりのこの曲。フェスにぴったりの会場を揺らす曲。頭が音楽にジャックされて、とにかく「Hey!Hey!」と腹の底からコール。思いっきり声を出せることがこんなに心地よかったなんて、久しぶりに感じる。この曲はやっぱりReolと一緒に掛け合いたい。初手に関わらず、変わらぬ力強い歌声と、観客を湧き立たせる振り。Reolの世界が荒吐の会場を包み込んでいくのが心地いい。

 


続いて、〃新式浪漫〃で圧倒的な高尚さを見せつけた【SCORPION】のイントロが流れ始めると、観客からは抑えられない歓喜の声があがる。フェスでの【SCORPION】は、新式のイメージとは違って一体感があった。新式のはどちらかと言えば崇拝に近い感じ。みんなで声を揃えて「コンプレックス!コンプレックス!」と力強く返すのが本当に楽しくて、一緒に音楽に乗れるのが嬉しくて仕方なかった。

 


3曲目は、フェスでも定番の【煩悩遊戯】。会場内を最高にぶち上げてくれるこの曲は、気が付くとフェスの鉄板になっているように思う。声出しライブに参加していた以前からのファンが、腹から声を出しながら馴染みのあるレスポンスを返していたのが嬉しかった。【煩悩遊戯】は本来はこう。一人一人、前列、後列にしっかりと目を配りながら、自分の音楽・声を届けようとする姿が目から離れなかった。

 


いつか、声を出して一緒に音楽を楽しめる日が来ると信じて。シンガロングできるようにと願って作られた【boy】。私もいつかそんな日が来るといいな、と思いながらこれまではライブ会場で手で響かせながら返してきた。いつなんて分からないし、コロナの中でそんな未来があるとも思えなかった当時。でもきっと、【劣等上等】⠀や【煩悩遊戯】、【十中八九】を初めとして、色んな曲を一緒にコールアンドレスポンス、シンガロングしてきた過去のライブの積み重ねがあったからこそ、コロナ禍の中でも【boy】は制作されたんだろうと、改めて感じた今回だった。

マイクを客席に向けて、頷きながら、微笑みながら一緒に歌う。リスナーの私だってずっと一緒に歌いたいと思っていて、それが実現できたのが荒吐で良かった。声に気持ちが全部込められていて、ダンサーと踊りながらのもいいけれど、ずっとこんな【boy】が聞きたいって思ってた。

 


【十中八九】のメロディが流れ始めると、観客はもう待ってましたとばかりに跳ねて飛ぶ準備に。【煩悩遊戯】に続き、ライブのボルテージを一気にあげてくれるのは【十中八九】。一部、歌詞が混合したように見えたけど、きっとあれは観客側のレスポンスに意識が持っていかれてたからだろうなって、私は感じた。それほどまでに、今回のライブは観客とのやり取りを1番に楽しんでいたように思う。箱の中で、歳も体裁も忘れて思いっき音楽にノるのもいいけれど、空の下で何も気にせず声を出して一体感を感じるあの瞬間が最高に熱い。

 


「新曲をやります」と、観客に向けて告げた一言で更に湧くのは私も例外ではなく。リスナー側の反応を見て、Reolも目尻を下げながらゆっくりと私たちに問う。

フェスに参加していない方々に、私の口からその背景や意を伝えるのは少し違うと思うので、今回は内容を割愛。

社会や不安定な場所で、自身を見失いそうになったり、大きな波に攫われてしまいそうになっている人に向けて、とても響く一曲。我武者羅に頑張って、肯定できない自分の気持ちは置き去りにして。そんなズタズタになっていた心をピカピカと照らしてくれる素敵な曲だった。ファーストコンタクトはこんな感じ。【secret trip】とは全く違うけれど、強さを貰える曲。Reolの伝えたいことはいつだって、目を背けたいくらいの自分のドロドロ、他人や自分も否定してしまう根っこの部分を照らして、寄り添ってくれる。

 


新曲からの【第六感】ほど心強いセトリの流れは無い。〃新式浪漫〃のセトリの流れと対極にある感じ。自分の核を更に強く持てとばかりに、歌いあげていく。ほんの少し前までは、【第六感】が新品で新しい存在のように感じていたのに、今になっては無くてはならない曲に変化した。新しいものじゃなくて、支えてくれる曲。

フェスのステージが終わったあと、初めてReolを生で聞いたであろう2人組の方が「第六感しか知らなかったや」と、話しているのが聞こえた。でもその後、「カッコよかったね」と微笑みながら次のステージに向かっていた。〃第六感〃の外交的なイメージは変わらず、Reolの魅力を色んな所に広げている曲で、実際に目撃してみると、私も誇らしい気持ちになってしまった。

 


最後の曲は、【煽げや尊し】。〃新式浪漫〃のトリをも務めた曲。祭りのあとの物寂しさを感じるメロディと共に、Reolは観客へと言葉を投げかける。ワンマンとは違って、短い時間だったけれど濃厚な時間だったから、余計に終わりが見えることが寂しかった。いつからだったか、Reolは〃次〃の約束をしてくれるようになった。明確な内容を告げるわけではないけれど、私たちに未来を与え続けてくれるんだと安心させてくれるようになった。それは、応援してきた私たちがずっと欲しかったもので、こうやって交わすことができるのがとても嬉しい。

最後の会場のボルテージがMAXになったところで、Reolは手を軽く上げながら会場を背にした。あっという間の時間だった。

今回のフェスは普段よりもMCの時間を長く取っていた。1呼吸置いた合間の〃かわい〜!〃のファンの声にも「もっかい言って」「ありがと」と返してくれたり、新曲に込められた思いを丁寧に伝えてくれたり。リスナーとのやり取りが、ツアー中の地方公演のようで楽しかった。

 

リハビリの最中のステージで、できることならめいいっぱいまで休んで欲しいと思っていたけれど、やっぱりパフォーマンスを目の当たりにすると出演してくれて嬉しい気持ちが勝つ。怪我を感じさせないほどの変わらない演出に、やるからには完璧に、の彼女の美学が脳裏を過ぎった。

今年は色んな場所で、色んなアーティストと交わったり、パフォーマンスを行うスケジュールが組まれている。数ヶ月に渡っての外交が連続するのは初めてで、楽しみからそわそわと落ち着かないけれど、誰かに魅力を引き出されるReolも見てみたい。生の音楽は瞬間的で、そこをどうキャッチして受け取り、返すかはリスナー次第。

フェスは、そんな貴重な一瞬をたくさん生み出してくれるから大好き。

 


大規模なツアーは終わっちゃったけど、今年も一緒に色んな景色を見たいなあ。

れをる/REOL/Reol の音楽と共に歩んできた10年間

 

 

 

REOLと会えたのは私の人生で最大の奇跡だと思う。好きになって11年目になるけれど、変わらず大好きで。これから、私の人生が続く限りも応援し続けていきたい。

 

⚠️これは、ただの私の人生記録です。ユニット時代やReolの歴史を綴ったものではなく、彼女らの音楽と共に歩んできた私自身の日記です。見て不快な気持ちになる方もいらっしゃると思います。

出会ったのが夏だったので、夏〜春までを1年に計算しています。間違えてるところもあるかと思いますが、ご了承くださいませ。

 

 

 

 


☆1年目 2012ー2013

⇒ニコ生主引退

⇒歌い手主軸、ニコ生たまに

 


夏?

10年以上前のことなのでいつだったか曖昧だけれどあれは2012年の夏だったように思う。大好きだったニコ生主、お菊と仲が良かったれをるを好きになるのは必然だった。2人で笑いながら、楽しそうに放送する姿にほっこりした。こんな毎日が続けばいいと思ったけれど、コミュの解散はあっという間だった。私は最後を見届けられなかった、人生最大の後悔。後日リアタイしていたリスナーからは、元気よく゛ばいばい゛でその最後を締めくくったらしい。人から聞いた自分に腹が立ってやるせなかった。

 


2人で配信することは極限に無くなってしまったけれど、歌ってみたの作品は増えていった。高い高音と特徴のある声に、素敵な動画。このタッグは最強だと再認識したし、どんな形であれ活動をしてくれることが嬉しかった。

 


れをるとお菊に新しい友達ができた。ギガと名乗る彼は、とても個性的で無口なボカロPだった。一緒にニコ生をしている時も、れをるがいないと喋らない彼が不思議だったけれど、3人が作った「ギガンティックO.T.N」という曲は、最強で、どハマりした。ミリオン手前の時は、動画に張り付いて達成祝いをした。有名?な゛サリシノハラ゛放送は1部事故!?がありながらも、楽しそうだった。

 

 

 

 


☆2年目 2013ー2014

⇒「ぎがばななざべすと」発売

⇒゛れをる゛名義初ライブ

 


ちょっとずつ、色々な歌い手さんとのコラボが増えてきて 歌をあげることも多くなってきた。冬手前には、すっかり3人で作り上げる作品に虜になり、歌ってみたの動画を今か今かと待ち続けていた。やっぱりれをるの歌が、お菊の動画が、ギガちゃんの音が大好きだった。

 


7月に、1本のクロスフェードが上がった。「ぎがばななざべすと」ギガちゃんのアレンジに、豪華な歌い手が参加。もちろんそこに、れをるはいた。クロスフェードの完成度にはとても、驚いた。自分では素人と言っていたお菊の技術に圧倒された。生放送で、はにかみながら「上手にできたからみて!」と伝えていたのを今でも覚えている。CDはもちろん購入した。そこには、゛ライブのチケット゛を購入するための番号が記載してある1枚の紙が同封されていた。場所は東京。辺鄙な地方に住む学生の私には、未踏の地だった。県内からあまり出たことのない私は、ライブを、断念した。

その紙は今も大切に、とってある。

 


進学により環境が変わり、戸惑う中で 変わらずに彼女たちの音楽がニコニコ動画にあることが、心の支えだった。少しずつ生活になくてはならないものになっていった。

 

 

 

 


☆3年目 2014ー2015

コミケにて「No title」発売

⇒歌い手のライブに出演するように

 


歌ってみたの動画がどんどんとあがるにつれて、れをるのライブへの参戦が増えて来た。けれどやはり舞台は全て東京。東京から離れている地方民にとって、東京へ行く決意をすること、それはとても大きな決断。お金も高いし、当時はスマホが復旧して間もない。迷って迷って、諦めて、迷う。悔しい、私は3年も好きなのに。東京に住んでいて最近好きになった人はすぐに彼女に会えてしまう、悔しい、会いたい。そんな嫉妬が当時は渦巻いていた。この時の私は地方という柵があまりにも高く見えてしまって、飛び越える勇気がでなかった。

 


はじめて作った作品がコミケで売られることになった。「No title」題名のないその作品、「あにょすぺにょすやや」という摩訶不思議なサークル名。゛あにょ゛というのは、当時のギガちゃんが「あにょあにょ言ってたから名付けてみた」と言っていたが、私が初めに聞いた放送では、マニアックな掲示板でやり取りをしている男の口癖...?が流行ったから?だったような気がしたけど、、聞き間違いかもしれない。ついでに、その掲示板の話題で彼女らは仲良くなったとのこと。「No title」は歌ってみたの作品ではなく、3人で作ったオリジナルソング。曲リストをみても、「ギガンティックO.T.N」しかわからなかった。当時の私は、根っからのサブカルチャー文化に夢中で、とにかくパソコンに齧り付いて動画ばかり。CDというのは買ったことがなかった。私にとって、また未開拓の地で、心が踊った。歌ってみたを続けるれをるがどんな曲をかくのかも楽しみだった。でもコミケは東京。行けない。通販での販売もあり、そこで購入した。けれど、当時の私はずっとモヤモヤしていた。このまま活動を続けていくにしても、東京に住む彼女の拠点が動くことは無い。地方公演はない、アーティストではないから。わかってた。このまま置いてかれるような気がして、嫌だった。同じファンのツィッターを見るのも、辛かった。

 


「No title」は、私に新しい世界をたくさん見せてくれた。ボカロっぽさをあまり感じない楽曲たち。私は、-が好きだった。聞き慣れたVOCALOIDよりも、れをるの歌声が大好きだった。当時はやっぱりなんども動画をリピートしていた「ギガンティックO.T.N」が一番大好きだった。

けれど、不思議と自分の人生の経験値が増えていく度、心に残っていくのは「No title」だった。アルバム、CDを聴き込むということが今まで無かったので、不思議な感覚だったけれど この先もずっと聞いていたいなと、感じた。人生に彩りが増えた瞬間だった。

 

 

 

 


☆4年目 2015ー2016

⇒「極彩色」発売

⇒初のワンマンライブ 「極彩色 High Fidelity」

 


「No title」に続く、新しいアルバムが発売されることになった。タイトルは「極彩色」今までとは違う、アーティストっぽさを感じた。収録されている曲には、カバー曲はなくて、書き下ろしの楽曲。さらに、ボカロバージョンの発売もない。歌い手と言えば当時はカバーやアレンジをしたものをCDにすることが多かったので、「極彩色」は異例とも言える内容であった。れをるという音楽性が確立したと気づいた。次々に発表されるジャケ写、店舗特典、限定版、クロスフェード…etc ついて行くのにいっぱいいっぱい。全部が私にとって初めてだったから、店舗特典、店舗ないけどどうしよう、限定版ってなに!?と頭の中はパニック状態。でも、とても楽しく感じて、ドキドキして。れをるたちもとっても、楽しそうで。「No title」とは違う、プロ意識を感じた。この時に、あぁこの人は歌い手じゃないものに羽化するのかも…と感じた。そうなったら、ついて行こうと。

当時の私は将来の進路を決めないといけない、分岐点に立っていた。何がしたいのか、何になりたいのか、将来のことが何も見えなかった。ずっと身近にいたものが、一気に幾つも消えてしまうことがあって、パンク状態だった。気持ちが将来なんてくだらないものに向かなくて、どん底だった。れをるの歌や、生放送だけが、全てを忘れさせてくれる唯一だった。

追加で告知があった。ライブがあるようだ。今回は、東京だけではなく、大阪も。自分が住んでいる場所から比較的近い大阪、そこで大好きな彼女に会えると私は歓喜した。ライブに行けば、何かが変わるかもしれないと感じたから。進路用紙は白紙のまま、教師たちの小言をスルーして学校を休み、大阪行きに1人で飛び乗った。TwitterSNSで繋がった友だちなんかいない、一人で行ったことないし、ライブがなにかも分かってない。けれど、彼女らのライブがどうしてもみたくて、顔出しもしていない彼女らに直接会ってみたかった。

 


ライブはあっという間だった、緊張を帯びた開口一番の極彩色も、人に潰されそうになるあの熱気も、大きな画面に流れるお菊の映像も。無我夢中で叫んで、飛び跳ねて、拳をあげて。こんな楽しい時間がこの世にあるのだと感動し、最高だと思った。ずっと、ここにいたいと思った。やっぱり大好きだった。

その後のホテルでは、興奮がさめやらず 眠れない。アルバムを聞く度に思いだす、あの日のライブの光景を。

私はれをるのいる東京に行こうと決意した。彼女らのライブをみて心の何かが動かされた瞬間だった。

 


☆5年目 2016ー2017

⇒゛REOL゛ユニット結成

⇒゛TOY'S FACTORY゛事務所初契約

⇒アルバム「∑」

⇒ライブ「テンカイノコウシキ」

 


東京へ行きたいと決意したけれど、現実はそう甘くない。行きたいです、はいどうぞ、とはいかない。親を説得させるには不純すぎる動機、でも彼女以外目標はない。結果、れをるが住んでいたという中部地方に移ることにした。ここで勉強と人生の経験を重ねて、東京へ向かう。

 


夏秋

歌ってみたはたまに上がるものの、極彩色のような大きな告知はない日々が続いた。もしかすると動画をあげるペースも遅くなっていって、自然消滅するのでは無いか、と心の何処かで思うことがあった。「極彩色」のパンチはとても強く、その後の静けさは異様だった。最近あげた3人の写真の真ん中に写っているれをるは、見た事のない黒髪だった。しかし、それは急にやってきた。新アルバム゛∑゛の発売が決定。突然やってきた顔出し、ユニットの結成に事務所の契約。静けさは一気に失って、情報が踊るように増えて加速していく。頭はパンク寸前。でもこれはれをるの復活で、REOLの新しい幕開け。顔を出して何かをする3人に慣れない違和感を覚えながらも、CDを買った。

 


ユニット初のライブをするらしい。東京、大阪、韓国。韓国は少し難しかったが、東京と大阪には直ぐに行く決意をした。東京、そうこれまでのリベンジを果たすのだ。手元のチケットは、大都会への入場券のように感じた。この感覚はきっと、一部の人にしかわからない。学生には、自由に使えるお金は限られていて、深夜の格安バスで向かった。東京お台場に着いたのは午前4時。こんな時間から物販に並ぶのは流石にきつい、真冬 2月のことだった。近くのマックで時間を潰して、朝日が完全に顔を出してから物販に並んだ。当時は物販に並ぶ時間などは定められておらず、グッズが売り切れになってしまうことを危惧して長時間 足を酷使することを選んだ。お昼になると、立ちながらご飯を食べた。足先から感覚がなくなって行くような冷えを感じたが、知り合いも居ないため途中でトイレにも行けない。7時間くらい経つと、物販はようやく開始された。お目当ての物は全て買えたが、やはり時間通りに並んだ人たちは買えなかったようだ。そうやってライブのノウハウを学んでいった。

ユニットのライブは凄かった。3人とも、舞台の上から堂々と披露していた。極彩色のライブはバンド形式で、お菊とギガちゃんは最後の挨拶しか顔を出さなかったので、今回は本当にびっくりした。れをるの歌だけじゃなく、観客を湧かせるパフォーマンスと映像の数々。ホッコリしたり、時に激しくなったり、今のReolとは違うものがそこにはあった。でもそれは紛れもなく、エンターテインメントで、心に電撃がはしった感覚があった。3人の初ライブは大成功だった。長く続けると誓ってくれたあの日の目標を、その時は疑わずに信じていた。

 


☆6年目 2017-2018

⇒「エンドレスEP」

⇒ユニットラストライブ 「終楽章」

⇒ユニット゛REOL゛解散

⇒゛Reol゛名義に変更

⇒゛ビクターエンタテインメント゛所属

⇒アルバム「虚構集」

⇒ライブ「刮目相待」

 


REOLが解散することになった。いつも通り届いたREOLからの通知『終楽章』の文字。何かの間違いかと思ったけれど、現実だった。足元が真っ黒になった気分だったけれど、なんとか東京と大阪のライブチケットを購入した。ユニット最後の音楽はアルバムになることなく、EPに留まった。こんな形でも世に出したいと、必死に抗議してくれたのが痛いほど伝わった。収録は4曲、新曲は3曲。終わりに向けて少しずつ準備が整っていくのを、痛いほど感じた。

ユニット最後のライブは、本当に楽しいひと時だった。やっぱり3人で生み出すパフォーマンスと音楽は最高で、最強で、無敵。なんで、どうしての気持ちはもちろんあったけれど、私は1人のリスナーで、3人がそう決めたのなら最後まで応援し、ついて行くまで。曲が1つ1つ終わっていく度に、タイムリミットの時計の音が聞こえる気がした。あの時のライブ映像はないし、2回だけの公演だったけれど、鮮明に景色と熱量と胸から湧き上がってくる感情は覚えている。笑顔で見送った3人には今後会うことができない、東京公演終了のアナウンスが鳴るとその場で崩れ落ちて泣いた。

 


毎日がぼーっと過ぎていった。タイミング悪くリアルでも色んな大切なものがまた無くなり、帰る場所すらなくて。気付いたら分からない場所で1人泣いている毎日になっていた。聞きたくないのに、聞いたら逆効果なのに、少しでもライブの幸せを思い出したくなってエンドレスEPの再生ボタンを押した。けれど溢れてくるのは辛い感情と、部分的に切り取られた最後のライブ映像が脳裏から離れない。唯一の救いは、Twitterで彼女らが呟いてくれる事だった。

 


ある日、ひっそりとれをるが動き出した。もう1度、私の世界が色付き始めた瞬間だった。名義が変わる、事務所が変わる、ソロで駆け出していく。嬉しい嬉しい嬉しい。彼女がこんなにも辛い中で、前へと進もうとしていることに、自分も今を立て直さないとと思うようになった。毎日泣いて過去に縋って過ごしていた日々は、ある日12時に降ってきた新曲が壊してくれた。バラバラにしてくれた。彼女にとっての呪いの歌に助けられた。

 


そこから、Reolとして息を吹き返していくのに引っ張りあげられるように自分も生計を建て直して行った。彼女と一緒なら、もう一度絶望からでも這い上がって自分の足で立ってみようと思えた。ユニット時代とは全く違い、Reolの世界観はれをる中心だった。そこに違和感を感じるファンもいたけれど、私にはストライクで心臓に矢が刺さった。強くありたい、強くあろうとする自身を鼓舞して少しでも前へと踏み出していく背中を見て、カッコイイと感じた。そんな彼女がハイスピードで生み出していく曲がどれも大好きで、シンガーソングライターらしさが増し増しなライブは最強だった。苦しみ辛さをバネに変えて、異様なスピードで曲を生み出してライブを重ねていく。きっと、当時は今よりも休む暇なんてなくて必死だったのだろうな、と思う。でもそれに遅れを取らぬように自分を振り返りながらも、その後ろを追いかけていく毎日は刺激的で非日常で、本当に楽しかった。舞台に立つ回数を重ねれば重ねるほど強く、美しく、尖っていく。Reolは無敵だ。

そんな絶望のドン底から無理をしてでも這い上がっていく姿をみて、自分もこのまま悲しむだけではいられないと思った。我武者羅に、少しでもいいから前へ。『泣かないでほら顔を上げて』『誠実な味方はいつも過去の自分』『ない才能を作れ』彼女の言葉が背中をどんどん押してくれる、何も怖くない。

 


☆7年目 2018-2019

⇒アルバム「事実上」

⇒ライブ「MADE IN FACTION」

⇒EP「文明EP」

 


春から念願の東京へ上京することになった。そのための準備は万端過ぎるほど万端で。自分で持ってきた有無を言わせない切符を身の回りの人に叩きつけて、彼女のいる東京へ。『東京は雑多で楽しいところおめでとう』と、大好きなれをるから嬉しすぎるコメントを貰った。これはもう頑張るしかない。緊張と少しの不安と期待をごちゃ混ぜに、寄り添ってくれたのは文面EP。新しい何かに飛び込んでいく自分にこれ程心強い共はいない。

 


☆8年目 2019-2020

⇒ライブ「文明ココロミー」

⇒ライブ「侵攻アップグレード」

⇒アルバム「金字塔」

⇒ライブ「ハーメルンの大号令」

 


夏秋冬

『愛すべき東京』『着飾るばかり都会』『大都会ここは何もない』と歌っているように、東京はコロコロと姿を変える。地方から上京を経験したことのある人なら、誰しもがきっと感じることだと思う。ゼロからここでリスタートした私は完全に飲み込まれていて、まさに「ゆーれいずみー」そのまんまだった。Reolのライブに参加することだけが生きがいで、それ以外は自分の心の中には誰もいない生活。屍のように毎日を重ねていった。本当に辛い日々が続くと、段々と自分が好きなものが分からなくなってしまう。朝が怖いから夜中まで起きていて、それでも睡眠が必要だから寝て、厭世的な気分で朝がくる。でも、Reolの音楽だけは私の中でずっと生きていて血のように全身に巡り、生を感じさせてくれた。悲しさ、虚しさ、孤独な気分をReolの音楽にのせると、うまく泣くことができた。『音楽なんてアートなんて』と歌っている彼女はそれでも舞台に立って歌うし、曲を作り続けている。辞めはしない、そんな信念に自分も置いていかれなくない。ここで止まると、きっと背中はもっと遠くなってしまう、そんな気がして。

 


久しぶりにお返事が貰えた。嬉しかった。元気にやってるのかな、大好きなゲームはやれているのかなとふとした瞬間に過ぎる。どうか、毎日健康で元気でいてほしい。

 


Reolのライブが止まった。新型コロナウイルスの影響で、当面の間直接会う機会が奪われてしまった。ライブの最中だけは自分が自分でいられる唯一の時間だったから、その喪失感は計り知れないものだった。次はいつ会える...?なんて、今までが幸せ過ぎたのかもしれないと、ユニット時代と解散期を振り返って思う。これを機に頑張りすぎな彼女は少し休んで欲しいな、と思ったけどきっと変わらずに曲を作り続けているんだろう。

 


☆9年目 2020-2021

⇒ライブ「音沙汰」

 


そう思っていると、突然現れたのは「第六感」これは、今までにない程Reol界を揺らした作品となった。彼女らしくない前向きどストレートな曲。まさかこんな曲が来るとは思ってもみなかったし、それに感化を受けてReolの魅力に気付いた人がどんどんと虜になっていく。戸惑っていると、お菊のリリックビデオが上がった。1歩1歩前に踏みしめていく足跡に、今までの過去。そして、懐かしい鳥居の風景を見た瞬間、ボロボロ泣いた。悲しさを思い出したんじゃなくて、嬉しいなって、動画を前に号泣した。やっぱり3人で作った音楽は、色んな人の心に響くし、無敵だし、勇気を与えてくれる。酷く懐かしい気持ちになって、私は再び立ち上がることができた。まだやれる、戦える。

 


久しぶりにライブの告知があった。しかし、本来の形ではなく声を発することはNGで、なんと全席指定らしい。Reolのライブで座ったことがあるのは社員総会の時のみ。普段とは違ったパフォーマンスに圧巻されたのは言うまでもない。そういえばいつだったか、激しいライブもいいけれどクラシックのような形でもやってみたいと言っていた言葉を思い出した。いつもの拳を上げて汗を滲ませながら全身の筋肉で飛び跳ね、体全てで音楽を感じるライブもいいけれど、今回のような形もありだと思った。何よりもアレンジがとても綺麗で、舞台で色んな姿を見せてくれる姿が素敵だった。「GRIMOIRE」では昔スタプラに出演した際の、「月のワルツ」の表現に似ていて懐かしいなと感じた。東阪の2公演だったので、楽しいひとときは直ぐに終わってしまった。けれど、久しぶりに直接見て、聞くことができたこの時間が何よりも変えがたく大切なのだと再認識した。やっぱりReolの音楽は、私にとっての生きるエンジンなのだ。

 


☆10年目 2021-2022

⇒アルバム「第六感」

⇒゛Sony Music゛に移籍

⇒ライブ「激情アラート」

 


秋冬

次々と新曲が上がっていく中で、引っかかったのは「boy」だった。他の曲に比べて歌詞に込められた感情が強く、異彩を放っていた。ファンからは事実か分からない憶測がネット上で飛び交う。ファンが介入してもいい域を超えているような気がしたので、ほんの少しの寂しさを感じながらも何も知らないままでいたいと蓋をした。アルバム「第六感」は、安定してきた現状を今一度見直し、自分は何をなすべきであるのか、更なる進化を遂げるには。1歩たりとも止まらずに加速を続ける彼女のように生きるにはどうすればいいのかを振り返ることになった。曲調としても新しいものを取り入れているし、大衆に向けて分かりやすく響きやすい音に変化してきているのに気付いた。しかしそんな中で、過去の傷を完全に過去に仕舞ってパッケージされたようにも感じた。新しいけど何処か切ない、そんなアルバム。過去の自分が積み上げて来た経験を、殺さずにどうやって活かしていけばいいのかを問われているようにも感じた。

 


運命的な出会いがまた巡ってきた。見つけられたのは本当に数奇な運命と言いたい。久しぶりの姿は元気そうで、あの時と似ているようで違っている笑い声で周りの人達を元気にしていた。元気で笑ってくれていて本当に良かったと安堵した。辛い思いをしてるんじゃないかって、責任感が強くて1人で頑張りすぎていた頃を懐かしく思った。今でも頑張りすぎていることもあるけど、沢山の新しい仲間に囲まれて 再び現れてくれていた事が嬉しかった。『またどこかに行ってしまっても、必ず見つけてね』と、熱すぎるお返事を貰った。彼女はもうあのアカウントにはログインしないだろうと思う。でも、どんな形になったとしても私はずっと応援してる。

 


ファン待望のライブツアーが復活することになった。「激情アラート」と名付けられたツアーは5都市を回り6公演。久しぶりの感覚過ぎて感動で全身が震えた。声出しはダメだし、変わらずの座席指定ではあるものの、以前のライブに近いスタイルだった。こうやって、またライブがライブらしい形に戻っていくのを今でも楽しみにしているし、新規のファンの方にも味わって虜になってもらいたいと思う。Reolの音楽はアルバムだけじゃなくて、ライブを通して更に完成度が増す。この日のために生きてきたのだと、生を感じる瞬間に立ち会えることは、幸せなこと。新しい仲間がどんどん増えて、世に轟いていくのが嬉しいし、自分も永遠にその一端でありたいと思う。

 

 

 

 


☆11年目2022-

⇒シングル「カラードディスク」

⇒ライブ「新式浪漫」

 

 

 

 


10年間を振り返るとあっという間に過ぎていったようにも感じるけれど、濃密な時間だった。多感な時期に彼女らと出会えていたからこそ、自分の道を見間違わずにまっすぐ進んでこれたように思う。私は今まで何かに執着をすることが無かったから、こんなに好きになれている今に驚きを隠せない。辛い時期にれをる REOL Reolの音楽に自分の人生を相談して、彼女の生き様で方向性が見えてくる。人生には色んな分岐点があって、それを間違えるとゲームオーバーになってしまうんじゃないかってずっと思っていた。だから現状に自分から囚われることもあったけど、怖くても前に踏み出す姿を見せつけられたら自分も歩みたくて仕方なくなる。誰にも頼らず1人で立って生きていく自分の状態で、一生懸命な姿を応援していきたい。だから周りに何も言わずに1人でここまで来た。随分前の配信で、れをるがリスナーに何の曲が好きかを聞く放送があった。それを尋ねられた時、私はこれが好きと言い切れる曲が1つも出てこなかった。こういう時(楽しい、悲しい、嬉しいなど)にはこの曲というのがあるが、゛好きな曲゛と一括りにされてしまった時に何も出てこなかった。どの曲も全部が大切で、色んな思い出が詰まっていて選べない。そっとコメントすると、『それは、本当に大切な時間を私の音楽と一緒に過ごしてくれてるってことだと思う』と返事を貰えた。その言葉を聞いて胸が熱くなった。長い時間共に寄り添ってくれた音楽たちだからこその、選べない思い。彼女の言葉がとても嬉しかった。

私はとても卑屈で、性格がひん曲がっているから他者の言葉を素直に鵜呑みにできない。正しいことを言ってくれていたとしても、腹が立って聞き入れたくないと思ってしまう。思春期には特にそれが顕著で、つい攻撃的になってしまうことに自己嫌悪することもあった。そんな中で、彼女たちの言葉や音楽だけは胸に響いた。人生の先輩でもあるし、尊敬する人。画面やイヤホンの向こう側にいるからこそ、強く、その思いが響くこともある。そうやって成長の手助けをしてもらっていたな、と今振り返っても思う。

これから20年、30年と 彼女たちが活動を終えるまできっと応援を続けると思う。どうか健康にだけは気を付けて、自分のことを1番に考えて欲しいと心から願う。大好きな人たちをこれからも、ずっとずっと応援していきたい。

 

 

 

10年間の感謝を込めて、ありがとうを伝えたい。

 

 

 

2022 10/15 OSAKA GIGANTIC MUSIC FESTIVAL・THE BONDS


ライブレポ

⚠️記憶があやふやなところがあります。自己満足に綴っております。

 

set list

1.第六感

2.煽げや尊し

3.宵々古今

4.たい

MC

5.Nd60

6.No title

7.平面鏡

8.煩悩遊戯

9.赤裸裸

 

計約40

 

 

 

今回はハーメルンの大号令札幌ぶりとなる声出しありの野外フェスであった。

 

1曲目から「第六感」で新規を含む全てのファンの熱をあげたのは流石としか言いようがない。ロッキンと同じ白にシルバーアクセが散らばる衣装に身を包んだ(髪の毛は黄色では無かった)Reol一同(Bass:二家本亮介Drum:上原俊亮)を拝めたことが何よりの幸せ。本人曰くロッキンの際よりも声の調子が戻り、いつも通りの力強い歌声を野外でも存分にヒビカセていた。

 

2曲目は「煽げや尊し」「第六感」に続き、テンポの良い曲で一気にボルテージが急上昇。個人的に初めて見る盆ダンスに大絶叫。大変可愛らしく、このタイミングで聞けたことが嬉しい。

 

3曲目は「宵々古今」まだまだとばかりに飛ばしていくセトリ。タオルを回すのが久しぶりであったのと、Summer goodsで発売されたバスタオルはなんか回しにくい。けど、気合で回した。

 

「たい」では、身につけていた装飾品を外して完全体制へ。イントロでのおしりフリフリダンスは超可愛らしいのに、サビのどんちゃん騒ぎようは狂気を感じる。世の迷言を全て置いていくように、飛んで跳ねて笑ってた。

 

フェスではあまり喋らないことに定評があるReolだったが、今回は前回のジャイガのリベンジであったことと、ロッキンの際に本調子でないことを伝えるためにいつもより長めに話していた。新型コロナウイルスの影響から断念することとなったジャイガフェス。今回のスピンオフイベントがあると耳にした際には自分から立候補したとのこと。しかし、主催者側もReolをオファーしようと考えていたらしいので、今回の出演は必然であったということである。そして、セトリはジャイガで出来なかったものに「Nd60」を加えて披露。

 

MCが終わるとポップなイントロと共に「Nd60」が後半戦の狼煙を上げる。激情アラートの際には、ダンサーの2人と共に踊るダンスが披露されたが、今回はReolのみの可愛らしい振り付けを見ることが出来た。お馴染みの「lonely lonely yeah」では、リスナーも共に一体感を味わっていた。

 

No title」が始まると、Seaside Remix では無いのかと思いながらも、やはり今まで歴史を重ねてきたオリジナルの方が耳に馴染む。Reolという歴史をリスナーも共に歩んできたのだ、と感じさせてくれる。いつかRemixも聞きたいけれど、交互に来て欲しいと思うのは古来ファン故の欲か。きっと共感してくれる人もいると思う。

 

次の「平面鏡」では、雰囲気がまた一変、ガラリと変わる。寒くなってきたらこの曲がどうしても聴きたくなる。Reolの中のかけがえない1曲。

 

かと思えば、「煩悩遊戯」で再びライブ会場をアツい火の渦へ!ラストに向けて一気に加速していく。声が出せる前のあの頃を思い出させるかのような、完全無欠な一体感。コールアンドレスポンス、最強である。

 

最後は「赤裸裸」にて終演。激情アラートでは、どの公演も初手から始まるこの曲を最後にもってこられると、ファンとしてはたまらないところ。リスナーも、当初に比べてようやく聞き込めた「赤裸裸」は激情アラートの際よりも盛り上がっていたかのように感じる。あっと驚かされて聞き入る新曲から、リスナーとも歴史を作り続けて最強にノれるようになった現在との変化が私は大好き。公演内だけでなく、外の周りでもReolの渦に飲まれた方々がいたようで、最高で見事なリベンジマッチとなった。フェス最高!!

 

 

 

追伸:夕方の「boy」と、寒い中での「ミュータント」是非に聞きたいです!!

Reol Oneman Live 2022 激情アラート

⚠️感想をダラダラっと書き連ねているだけ。

興奮により記憶が1部おかしい所あり。

 

Reol Oneman Live 2022 激情アラート 

 

 

約2年ぶりのツアーとなる"激情アラート"

前回のツアー "ハーメルンの大号令"は、コロナの影響で中止になってしまったけれど、今回は無事に全てを終えることが出来て、それを見届けることが出来て本当に幸せな時間だった。

今回は、6公演全てに参加したので、割とごちゃごちゃになりながらもだら〜とまとめていきたい。

 

今回は、「第六感」からのファンも加わり、見慣れず初々しい方々が多かったように思う。少し前は、割とビジュアル寄りのファンが多かった気もするが、一般的…?というと語弊があるかもだけど、色んな方にReolの良さが届いたような気がして嬉しかった。もちろん、何度も参加している方々もちらほらお見かけして、勝手にまた集えたことに感動していた。

今回は、全公演イスが用意されていたけれど、ほとんど立ち見のようなものだった。久しぶりの感覚。ハーメルンぶり。隣の人の熱気や思いがビシビシ伝わってくるこの感じが、ライブ!って思わせてくれる。マスクは暑かったけれど、とても満足。全身は疲労困憊。

馴染みのある紗幕に、今回はどんな素敵な映像を見せてくれるんですか!お菊さん!と、可愛らしい声で軽快にゲラ笑いするお姉さんを脳裏に思い浮かべて、マスクの下で少しにやり。

客引きをイメージしたと言われるBGMを聞きながら、継ぎ目のところで緊張が増していく。

今回のライブカラーである白とピンクのリストバンドに目を落としながら、一体どんなコンセプトで来るのかドキドキ。福岡公演では、ドラムスの方の体調不良により、さらに開幕が延期したが それも生のライブを見に来ている実感が湧く。

 

暗転後の始まりはいつも、度肝を抜かされ、虜にさせられる映像から。迫力満点の白とピンクの交差。初めのリズムからさらに加速して、バイクと馬が走る、走る、はしる。気持ちをグッと上げられた状態で始まるは、新曲「赤裸裸(NAKED)」。初めて聞いた時は、何も触れられないこの曲に呆然となってしまった。「し、新曲?だよね…?」となった方々も多いと思う。アップテンポで激しいリズムを奏でるこの曲は、まさに"激情アラート"に相応しく、Reolらしさが全開!ハイトーン、力強さ、リズム、Reolのよさを全て詰め込んだと言えるこの曲は、ライブの初手にピッタリ。新曲を今まで1曲目にもってこられたことがなかったので、なんだか化かされたような気持ちになった。地方公演序盤は、周りのリスナーたちもどうやってこの曲を掴んでノっていこうか、考えている様子だったが、仙台、東京2daysには完璧に仕上がってた。手拍子楽しかったね。

そしてそのまま続くのが、「宵々古今」と「オオエドランヴ」という和テイストでぶち上げてくれる2曲が、各公演入れ替わり制。Reolツアーはいつも、セトリがその公演ごとに違っていて、新鮮さを味あわせてくれるところ。だから、全部聞きたくなるだよね。「宵々古今」は、なんか1人だけタオル振ってた気がするけど仲間がいると信じている。Reolぶち上げライブソングの鉄板となっているこの曲は、終わるといつも汗だく!「オオエドランヴ」の天下取りver.は、今までのライブで少しやってくれていて、何度聴いてもあれを1人で歌い上げるのに驚かされる…。天下取らないver.は、もしかしたらもう聞けないのかも…と思うとなんだ切なかったり。

そして、ハーメルンぶりとなる「insider」。怒りを具現化したような、荒々しいパフォーマンスと、映像になんだか懐かしい気持ちになる。でも、ハーメルンの時よりも激しくて熱かった!感情のままに頭を振り、歩きながら歌いあげる姿が脳裏を離れない。

そして、まだまだ続く情熱のターン、ここで「煩悩遊戯」冥土の時の熱い拳と掛け声が交差していたのが懐かしかったけど、今回もそれに近いくらい激しく音にのめり込めたのは久しぶり。声が出せるようになったら、<煩悩遊ばせLet’s get it on!> みんなで言いたいね。

個人的にはここに続く「Nd60」の流れがとても好きで、新曲っていつもセトリのどこに入るのか楽しみにしている。旧楽曲たちの何処に混ざって溶けていくのか、楽しみすぎる。この曲はとにかく3人のダンスが可愛すぎる。1番好きなのは<清廉潔白じゃないし欲が深い>の所!3人が連なって踊っているところが凄く可愛くて大好き。6公演全て、ぺーさんはれをる氏に触れてなくて紳士だなあ…って思った。東京2days目はれをる氏が歌うことにノリ過ぎてちょぴり忘れてたみたい。手遊びも楽しかった、<lonely lonely yeah♪>

そして、ここに来るのか!と驚いたのが「たい」私は「たい」を爆弾だと思っている。文明ココロミーから爆弾だと思っている!!まさか、ここまでぶち上げてくれる曲になろうとは…。地方公演ハーメルンは、ぶち上げ〜だったけど、接続編の「たい」はマーチングバンド風だったので、今後もマーチングバンド風に方向転換するのかな?と思っていたけど、爆弾のままの「たい」だった。足をやられた。この曲の後って、体力的に身構えるのは私だけですか??

でもやってきたのはお馴染みの「No title」。気がつけば、この曲はReolファンにとってのいつもの!になってきている。歌詞では「」の所を、「ありがとう」と笑顔で叫んでくれる彼女にいつも胸を打たれる。また一緒にサビを、みんなで歌いたいな。終楽章の時は、別れというか、悲しい曲になっていたけれど、ソロになってライブを重ねていくうちに、心に寄り添ってくれる優しい曲になってきた。シャボン玉の景色も忘れられないけど、今の景色もいい。

そしてまだまだそのまま、熱くなっていく「十中八九」!「煩悩遊戯」と同じで、ラップ調が強く、盛り上げ最高潮なこの曲。れをる氏の笛と共に、みんなでジャンプするの楽しかった。「飛ぶよ!」ともなんとも言われてないのに、笛の音に合わせてジャンプしまくる私たちは調教済みなのかもしれない。こんなにライブアッパーな曲たちが続いて、改めてReolライブを思い出した。そう、彼女のライブはいつだってこんな感じだった。

紗幕が降りて、再び映像の世界へ。明治や昭和の見世物小屋がテーマと言われるこのライブ。ギラギラピンクって、なんだか今までのReolと結びつかなかったけれど、今回ので払拭された。曲と曲の間も、リスナーたちの胸をそわそわと踊らせるこのやり方。たまらない。見世物小屋から、アラートが鳴り響くあの一瞬の映像が好きで、観客席からちょっとづつReolワールドに連れてこられているようなそんなイメージを抱いた。次の曲は!?と中毒にさせるこの音がたまらなく大好き。いつだって、このアラートが鳴ると、どこにいたって駆けつけてきた。

東京以外は、映像の終わりとともに紗幕が開いて「第六感」が始まり、東京両公演では「金字塔」に移り変わる。「第六感」が始まると、新規の方々も「お!!」ってなって、共に盛り上がってくれていた印象だった。「金字塔」も、これまたハーメルンの大号令ぶりだったので、酷く懐かしい。新しいRemixにやられたファンも多いのではないか…と思う。こんなにバチバチな「金字塔」…たまらない…。と、新しい扉を開いてしまった。

そして、アルバム第六感から、「Q」。紫と緑のなんともアンダーグラウンドな感じがするスポットライトに照らされながら、高らかに歌い、ベースやドラムはまるで踊っているような圧巻のパフォーマンス。心をドクドクと打たれたような、高揚感が忘れられない。

この次に続くのは、なんと「404 not found」。個人的に、この激情アラートでこの曲がセトリに組まれたのには何か意味があると思っている。きっと、Reolにしかわからないけれど。今までは、マイナスなイメージが強かったこの曲、<そうだ世界はどこかがいつも嘘くさい〜>のパートで、涙を見せていた彼女の姿をどうしても思い出してしまう私だけれど、手拍子をしたり、曲を楽しむリスナーたちが増えて、涙は過去のものになってしまったけれど、未来に進んでいるんだ…と実感できた瞬間だった。

しっとりとした雰囲気に続くのは「ミュータント」紗幕の向こう側で、ねーさんと一緒に息ぴったりのパフォーマンスを見せてくれた。椅子ひとつであそこまで表現できるのは、2人の絆があってこそ。2人いるのにそれぞれに孤独を感じるこの曲は、映像とベースアレンジも加わってなんだ哀愁が漂う。1人でいる、れをる氏を覗き込んだような気持ちになった。

久しぶりな「ハルシアン」にしんみりとした会場に日が刺す。軽快なポップスに、会場は再び熱を帯びる。アルバム極彩色から、セトリに曲が組まれるとなんだかとても嬉しい気持ちになる。今のReolとはまた違った雰囲気だし、曲の感じも全然違うけれど、新しいファンにも響くといいな。どうだろう。

ここまで13曲ぶっ通し、Reolは少し止まってMCを始めた。公演によって、内容は違うけれど、Reolの心にある思いを晒してくれて、直ぐに次の曲へ。ここからは、Reolの内面に触れていくセトリ。

私たちの為に歌ってくれるという「サイサキ」。ReolがReolとして進んでいく為の、大きなきっかけになったこの曲。新しいMVを背景に、いつもよりも熱を込めて歌いあげていく。「サイサキ」は、ピンクと水色のイメージしかなかったけれど今回は緑がテーマでとても新鮮だった。れをる氏にとってのサイサキの意味が、時を重ねて少し変わってきたのかもしれない。

そして、「白夜」に繋がるこの流れが好きなリスナーたちは多いのではないかと思う。私も大好き。れをる氏にとって「404 not found」は傷であって、「白夜」はそれを肯定する曲なのかな、と思った。白夜のMVの最後、背中にあった傷は、れをる氏が実際に心にできた傷だと私は思っている。加速しながら力強くなり、強く、深く、盛大に歌いあげる姿に釘付けになる。ドラムとベースで聞く「白夜」は本当に最高。こんな経験、この先できない。ぺーさんとの、ダンスに釘付けになった。

意外だったのは、ここに「Ms.CONTROL」が来たことだった。色々なスポットライトを使い分けながら、ダークに妖艶に魅せてくれるReol。こんなの見てしまったらさらに虜になってしまう…と、胸を射抜かれた。きっと、この曲がここに来たのは本来の意味である"思い通りに洗脳する"という意味ではなく、"これ以上傷ついたりしないよう、幸せになれるようなおまじない"という優しい意味だったと思う。映像もとっても良かった…「Ms.CONTROL」は、なかなか掴みにくい所があったからどう表現されるんだろう…と思ってたけど、本当に流石です。

そして、早いものでセットリスト最後の曲、やはり来るのは「激白」。「激白」とは、色んな歴史をこれまで重ねてきた。思いが強くて激しく、クセがあるように見えて中毒にさせる。そんな印象。熱く歌い上げると颯爽と去っていくReolに寂しさだけが会場に残った。

アンコールの手拍子とと共に戻ってきたれをる氏は1人。始まるは、「ヒビカセ」「LUVORATORRRRRY!」こちらも交代制。この2曲は意外とレアで聞けるのが運任せだっだりするから今回どちらも聞けて最高だった!静まった会場に一気に火をつけるダブルコンビ。れをる氏1人で舞台に居るのって、なんだかとっても懐かしい。たまに、こうやってれをる氏とリスナーの2人きり?にしてくれるのはテンション上がる。

そして続くのが、地方公演では「第六感」で、東京公演は「金字塔」。タイミングが違うだけで印象ってほんとにごろっと変わるのが不思議。個人的に1番グッときたのが「第六感」。<ヒールが鳴らすリズムと命の音が揃う>のヒールのところで、お菊さんの映像がバっと広がって。れをる、ギガ、お菊の3人コンビが最先端で見られるのはこれで最後なんだなあ…って思うと切なくて。後は全て、過去のものになってしまうと思うと辛くて、思わず涙が溢れてしまった。最後にこの曲が大衆のみんなにも知ってもらえて、バズって。大御所のマイキーさんも呼べるようになって。そう考えると3人でやり遂げた音楽って「第六感」だなって、改めて思った。ありがとうREOL。大好き、さようなら。

ここでのMCは、地方公演はとてもわちゃわちゃして楽しい雰囲気で、だらだら〜けらけら〜とお話していた。ほんとに、こんな素のれをる氏を生で拝めるのって地方公演しかないよね。だから、全部ついてっちゃうんだよね〜〜。東京は撮影もあって引き締めた感じだったけど、指つってた。大丈夫かなあ…。

福岡公演では、お詫びの意を込めて単独での弾き語りで、セトリにはない「1LDK」を披露してくれた。歌詞やコードが飛んでいたところがあったけれども、一生懸命に思いを伝えてくれたあの瞬間は忘れられない。いつしかのライブでも、パフォーマンスが充分じゃなかったと、2回繰り返し歌ってくれたり、おまけに1曲歌ってくれたり。いつだってReolはファンサービスに溢れている

激情アラート最後のとりは、「boy」。「boy」が最後で大丈夫!?しんみりエンドは大号泣…!と思っていたけれど、何かを吹っ切れたような笑顔と、元気いっぱいに踊る姿を見て、最後に相応しいなって思った。みんなで合わせたり、ウェーブをしたりとっても楽しかった。激情アラートは始まりで、その始まりの地で「boy」を終わらせたんだな…と寂しいけど、これからがますます楽しみになった。

 

久しぶりのライブはあっという間に終わり。でも、寂しい気持ちよりも楽しかった、出し尽くした、の爽快感が強く感じることが出来た。地方公演を全て回ってたので、次、また次ね、を繰り返していたこともあり、最後は喪失感が襲ったけれど「赤裸裸」の発売もあるし楽しみしか無かった。今回の衣装は、コンセプトである白とピンク。れをる氏のライブ衣装でほんとに最先端だし、なんでも似合うし、攻めるし、楽しみすぎて爆発しそうになる。冥土からなんだか定番になってきたエクステには、毎回ドキドキさせられるし、衣装の隙間のチラリズムにもドキドキさせられる。初めのネコミミ?ヘルメットも可愛いよね。

バンドメンバー5人での失敗談とか、やらかした話とかを楽しく話す姿にはホッコリ。福岡公演は、またイレギュラーな感じだったけど、ベースだけの激情アラートもまた乙な感じだった!銀テープ飛んだの見たのは、終楽章ぶり〜〜!記念に持って帰った。会場アナウンスが、お菊さんやれをる氏じゃなかったことがちょぴり寂しかったから、また復活してくれたらいいな〜なんて。ハーメルンの地方のグダグダアナウンスも良かったよね!声真似のやつとか一生笑ってられる自信あり。お菊さんに弟子が出来たのも驚いた。1人で黙々と頑張っている印象があったら、(頼むから睡眠だけはいつもとってほしいと心から思ってる)弟子ができてちょっとでも楽になればいいな。3D作るのは出来なくて勉強したいって言ってたから、弟子さんから学んだりするのかな…?なんて。今回は、本当に沢山の映像を全て2人でつくりあげたみたいで、感動でしかない。忙しい時期もたくさん被ってて大変だったのに、ここまで仕上げてくれて感謝でしかない…寝てくださいぐっすり…。

 

Reolにとって区切りとなる公演だったけど、私にとってもそんな気持ちにさせられた楽しいツアーだった。一緒に泣いて、笑って、熱くなって。この先も一緒に歳を重ねていきたいと思う。私がれをるさん、お菊さんを好きになって10年目の年に、こんな幸せなライブを見ることが出来て本当にありがたい。色んな歴史を重ねて来て、走馬灯の瞬間でもあるライブ。これからも、知らない景色を見せて欲しい。大好き。

 

激情アラートお疲れ様でした。

沢山の贈り物をありがとう。

次に会える日を楽しみにしています。

 

 

1LDK

⚠️注意⚠

以下の文は全て個人の勝手な解釈です。本家様とは大幅にズレている部分や、皆様の解釈とは全くの別物であるケースがあります。分別のある方のみご覧下さい。

書き手は、以下の解釈が絶対的であるとは思っておりません。誤字脱字あります。

文章能力がないので、チグハグな文章です。

 

 

ーCommon conceptー

◾憧れがあり、好きが根底にある。

◾音楽を作り始めたきっかけって何だったっけ?と思い、できた曲。

◾憧れと現実との間で揺れる葛藤が綴られている。

◾Reolが東京に留まっている理由。

 

 

※1LDKの動画と歌詞の両方を解釈しております。

 

この作品には、登場人物が歌詞内には3人(僕/あんた/あなた) 動画では2人(Reolとダンサー)登場します。

まず、歌詞内の3人の人物を分類すると、

【僕】…現実の生活を送っているれをる本人(※以下、れをると表記)

【あんた】…アーティストとしてのReol。れをるが向ける感情は、゛負゛に近い。

【あなた】…アーティストとしてのReol。上記の(あんた)と同一人物であるが、れをるがこちらに向ける感情は゛正゛である。

動画内の人物を分類すると、

【Reol】…現実の生活を送っているれをる本人

【ダンサー】…アーティストとしてのReol。負も正も兼ねる。動画での表現は、意志を持たず、感情のない人形のような存在に見える。憧れの具現化?

 

さらに、時系列についても分類できることが歌詞から見て取れる。「超越」の後の゛する゛の文法から分けて考えた。

1Aメロ〜…【過去】音楽を作り始めた頃

(※超越した)

〜2サビ……【過去】半ば(※超越してよ)

大サビ〜…【現実】今(※超越したの)

 

以上のことを念頭に置いて、下記を読んでいくと分かりやすいと思います。

〇…動画の解釈。

 

 

1LDK

 

歌:Reol

作詞:Reol

作曲:Reol

 

 

【新聞の一面に 僕の名前見出しで】

〇新聞が切り抜かれ、※れをる 自身が映っている。これは、Reolではなく れをる側からの視点の始まりであることが分かる。


【あんたの気を惹きたい】

〇階段に登りながら、何度も鏡に映る自分に向かって歌う場面がある。歌詞内にも"あんた"と表記されていることから、Reolに対する負の感情を訴えていることが分かる。


【今日じゃないと 絶対だめなんだよ】

"今日"と断定する表現から、未来に対する恐れや不安を抱いている。


【黄色い線の上 ギリギリのステップで踊っている うまいこと染まれないよ】

"黄色"は、注意の意を表す。1本の線を引いた時、ラインを境にしてA側とB側に分けられる。この意は、れをるの2つの世界を表していて、仮にA側をれをる(自身)の世界と置くならば、B側はReol(アーティストとして)の世界となる。つまり、その2つの世界の境界線の上で、"れをる"はアンバランスさを保っているということ。どちらにも傾くことが出来ずに、不安定な状態を表している。

〇Reolが階段をひたすらに上がっている場面がある。階段を上がっていくシーンは、音楽活動を続けていく、Reolを演じ続けていくということ。何度も鏡の自分(Reol)に歌う場面では、今のままで良いのか、訴えかけているようにも見える。


【借りもんの個性的じゃ減点】

借り物の個性=他の作品の模倣や真似、減点=評価されない、世に受けない、という意味のことで、オリジナルの楽曲で万人受け(減点という第三者からの評価基準から)する作品を、生み出さなければならないという焦燥感やプレッシャーを表している。

 

【面倒事にノックダウン 一人暮らしはまあキツいです】

面倒事=他者からの評価や、やりたい事に規制がかかってしまう仕方の無い現状。一人暮らしは孤独の意味があり、辛い事を全て自分で抱えなくてはいけない現実。

〇幾つかの額縁を見ながられをるが歌う場面がある。額縁一つ一つはReolが今までに作ってきた音楽作品であると予想される。


【表参道から松濤】

【僕はダンサーインザダーク】

ダンサーインザダークは、辛い現実から目を背けてイマジナリーな世界に逃避する女性が主人公の悲惨な映画である。Reolは、れをるが創りあげた架空の世界で、アーティストとしての活動に憧れる夢そのものである。


【安月給で惨敗 まだ工事終わんないし】

前の歌詞の対義語であると考えられる。こちらは、れをる自身の現実を表しており、工事が終わらない=中途半端な状況を表している。

〇ダンサーがここで登場、鏡越である様子は まだれをるがReolを、自身であると思い込めず、客観的に見ている状況を示している。初期。

 

【好き嫌い 大都会】

憧れた空想世界(音楽活動)と、厳しく孤独である現実との両方を表している。

 

【イヤフォンの向こうで 歌う声に焦がれている】

Reolに対しての憧れ、理想のビジョンを感じている。


【劣等感、厭世的な気分で朝を待って】

"朝を待って"の文章から、この行の時系は夜で、活動をしていないれをるの時間を表す。"厭世的に待つ"という歌詞から、状況の対義語で、憧れたReolを演じ続けることの苦痛さを歌っている。


【こんな思いを知っても 鼓膜の上であなたが  クソみたいな現実を一瞬光らせるから、超越した】

それでも、音楽活動を諦めきれない意地が歌詞から見て取れる。"超越した"という文章から、Reolの存在が世論に響いた手応えのようなものを感じたのではないか、と考察する。

〇ダンサーと背中合わせになり、押しつぶされるような場面がある。Reolの存在が世に知れ、大きくなっていく現実を、現実に受け止めきれていないのではないか、と考える。

 

【ねぇ、表は危ないよ センセーションなんざくそ喰らえだろ】

"表"とは、Reolとしての舞台のこと。世間からの評判を気にする自分を皮肉に思う表現である。


【あんたの卓越は若さやお金じゃはかれないのに】

自身が生み出した作品にラベルが貼られ、価値をつけられて売られていき、他者から評価が付いてしまう現実を憂いている。

〇ダンサー(Reol)に向かって、強く歌い上げるシーンがある。上記の気持ちを乗せて、思い悩む姿を表していると考察する。


【名声を強請って 無いもの見栄張ってる

着飾るばかり 都会】

音楽活動を続けていく中で、実績がなければ、アーティストがやりたいことを自由に実現するのは困難である。Reolはその自由を実現するために、世間に受け入れてもらえる作品やアプローチを 妥協でもしなくてはいけない。1行目の歌詞は、そんな世間に虚勢を張ろうとする自身を嘲笑う歌詞である。

〇階段のシーンで、あがっていくれをるをダンサーが抜き、先に行ってしまうシーンがある。これはReolが大きくなってしまい、自身の感情が追い付いていないことを表している。

 

【イヤフォンの向こうで 叫ぶ声に正されている】

Reolの音楽をイヤフォン越しに聴きながら、Reolが自分自身であると実感しつつある。


【嫌悪感、肯定できない僕が嫌になって】

憧れとのズレから、"Reol"を自分の中で受け入れ満足することが出来ない れをる自身に嫌気がさしている状態。

 

【こんな思いになって尚 “なんとか”を保てるのは 嘘みたいな理想の何処かあなたがいるから、超越してよ】

それでも音楽活動を、Reolとしての自身を辞められないのは、やはり根底に"憧れ"を叶えたいという気持ちが存在している為。"超越してよ"という歌詞から、Reolに対する願いが現れている。

〇"超越してよ"というシーンでは、カーテンに仕切られたれをるの部屋、1LDKを表現している。トイレットペーパーやハンガーなどの日用品や、バナナや水などの食料品があり、自身の部屋で本音を吐露している。

 

【五線譜の上のさばる本音 折れそうな僕は神頼みだ】

Reolの音や歌詞に、れをるの思いや本音を載せて気持ちを吐き出している。神頼み=Reolにれをる自身の今を救って欲しいと、憧れを形にしてほしいと願っている。


【本当は何も願っていない うつった癖が直らない】

一方で、売れたい、評価されたいとは思っておらず、Reolを世間から求められ、れをる自身が否定されてしまうならば、辞めてしまいたいという自己矛盾に陥っている。"うつった癖"=れをる自身がReolに侵食されつつあるということ。


【芸術(アート)なんて音楽なんて
歌をうたったからなんだって 絵を描いたって足しにならないから辞めちまえば

芸術なんて音楽なんて音楽なんて
音楽なんて音楽なんて音楽なんて もうくたばれ】

どうにもならないやるせなさや、モノを作り出すことの意味・目標が分からなくなってしまっている状況である。


【芸術なんて音楽なんて何もなくっていなくなって 価値をつけて選ばれなくて 憧れだけ】

現実での苦労や負担、精神的苦痛さを直情的に表した歌詞である。

 

【イヤフォンの向こうで 歌う声に焦がれている 劣等感、厭世的な気分で朝を待って
こんな思いを知っても 鼓膜の上であなたが
クソみたいな現実だとしても光らせた】

ここでのサビは、1サビと同じ感情で、"光らせた"の末から過去のことを表している。現実の感情はここのサビではなく、次の大サビである。並べることで、れをる自身の感情がどのように動いたのかが分かりやすく、感じ取れる。

〇れをるとダンサーが画面に目まぐるしく入り交じっている、これはReol自身を受け入れようとするれをるの心の動きであると考察する。

 

【イヤフォンの向こうへ 三分と少しの間だけ
全能感、革命的な気分でいさせて】

れをるの中で様々な葛藤がありながらも、憧れを実現できるのはれをるであり、Reolであると受け入れている。"3分と少しの間"=1曲のことであり、一作品にれをるの感情が込められていることが分かる。


【そういつだって指先ひとつで [再生]
ありふれた生活 殴り込んであなたは
クソみたいな現実を たった一小節で変えて】

れをるが、Reolに対する願いをあらわにしている。

 

【超越したの、1LDKで】

れをる自身の気持ちに一先ず区切りがついた、過去形を用いている。

〇ダンサーが持っていた額縁(作品)にれをる自身が入っている。"芸術なんて 音楽なんて〜"のシーンでは、幾つもの額縁を外し、時には叩きつけるように地面に投げ付けていた。また、上記のサビ(過去を表す)では、ダンサーが掲げた額縁を思い切り跳ね返すシーンがあった。この違いから、れをるがReolとの在り方を受け止めたことを表していると考察する。

〇最後のシーンの新聞には、れをるではなく 金字塔のジャケットであるReol自身が写っている。これも、自身の中の葛藤が払拭されたことを意味している。

 

 

 

ーあとがきー

この"1LDK"は歌詞そのものが直情的で、解釈する必要あったかな?と思いはしたのですが 私自身が「金字塔」の中でも1番好きな作品で、MVも大好きな番場監督とのコラボだったので、つい個人で纏めたものを公にしました。

私は音楽活動をした事がないので、アーティストとしての苦痛や喜び等の感情は分かりません。Reolは数年前と違って、とても大きなものになりました。YouTubeチャンネル登録者数はとんでもないし、Twitterには公式マークが付くし、今や名のあるアーティストがReolのアルバムを聞き、称え評価しています。そんな大きくなってしまったれをるを、正直 私は"何処か遠くに行ってしまった"と思うことがあります。それは、ギガばなやNo titleを出した時もそうだし、極彩色や∑、そして虚構集を発売した時もそうでした。どんどんビックになっていくことを嬉しい反面、寂しいと思っていましたが、もしかするとれをるさん自身もそう、感じていたのかも知れません。1LDKで1人、パソコンに向かって歌を作り、感情をガリガリと削るのは本当に苦痛だと感じます。それでも、懸命に前を向いて。例え虚勢だけで進んでいたとしても、それは彼女の強さだと、思うのです。

ハーメルンの大号令の札幌公演で、Reolさんがこの歌について語って下さる場面があり、とても深い曲なのだと改めて、気付かされました。

前々から自分の現状と被り、やるせない感情を昇華してくれる大切な曲だったのですが、札幌のライブを経て よりReolさんを身近に感じ、好きになりました。ライブとは、作品の印象を変えるきっかけにもなり、それが公演ごとに違う意を持つので不思議ですね。中止になってしまったライブに、酷く心を痛めております。行きたかった。

でも、このご時世なので。今やれることを、やる、のReolスタンスで、私も今できる精一杯に務めたいと思います。

 

そしてこの度はアンケートに御協力頂き、ありがとうございました。詳しい結果はTwitterの方を見ていただければと思います。最多投票は「No title」のアルバムで、結果から見えてくるものもあり、皆様のお陰だと心より感謝しております。

 

"激白"同様、「自分はこうだと思った」と違う意見をお持ちの方は是非 聞かせて頂きたいと感じております。そのために恥を忍んで、公開していますので。

 

ここまで見て下さり本当にありがとうございました。

 

 

 

激白

 


⚠️注意⚠

以下の文は全て個人の勝手な解釈です。本家様とは大幅にズレている部分や、皆様の解釈とは全くの別物であるケースがあります。分別のある方のみご覧下さい。

書き手は、以下の解釈が絶対的であるとは思っておりません。誤字脱字あります。

文章能力がないので、チグハグな文章です。


ーATTENTIONー

Reolさんが主軸に置かれていたのは恋愛的関係で、アンケート結果でも、それが最も多かったのですが、個人的に思いれが強い投影が親子だったので 表記は 親と子で記させて頂きます。しかし、この曲は、互いに周りが見えていない人間関係そのものを表しているので、以下に記す内容に表記云々はあまり関係ないと思われます。その中でも、今回 解釈を考える中で自分はあえて、子の感情に移入しました。

動画とセットにしてご覧になられた方が、より分かりやすいかと思います。

 

 

 

 


 

ーCommon conceptー

▪️視野狭窄な関係

▪️相手の全てを知りたい 把握したい

▪️「恋愛」 親子関係   人間関係の悩み 友達

▪️共依存 

▪️飼育

 


(視点)

親 Reol ……束縛をする側

子 女性 ……純粋無垢で前半は束縛されていることにすら気付いていない。

 

 

 

激白

Reol

 

 

 

マンションの一室をこのMVの舞台にしたのは、「狭い視野」を表現する為だと推測。

室内を照らすライトの色が不気味だったり、夜のマンションの廊下が薄暗いのは、歌詞内にある「明け方に背いて」(以下で説明)を表現している為だと思われる。

室内のカーテンやドアが全て閉まっているのは、他者から干渉されない絶対的な個室(2人だけの世界)を表現しているだろう。カーテンの向こう側の光が青や、光の原色、オレンジ等の様々な色である理由は、外の世界(親子関係の外界)を表していると推測。

 


【揺らす本能 火をつけろ】

親は子を見ているが、その瞳孔は開き切っている。これは、相手の行動を余すことなく見逃さない執着心故の表情。

【焦燥感にハウる衝動】

子の目に光が無いのは、親からの価値観の同化により、子自らの自己が喪失している為だと考えられる。洗脳、植え付け。

【僕は今すべてを知りたい】

視界(画面)が何度も回転するのは、親は子、子には親、お互いしかいない洗脳意識を浸透させている状況を現していると思われる。

【間違っていても 痛い思いをしても】

親が、自分の頭に手をあてている表現から、親自身も回転(洗脳の浸透儀礼)に酔って、分からなくなりつつあることを示していると思われる。

【構わないよ 不幸も君とだけ】

【間奏】

外の世界の映像から親子のいる室内に切り替わるのは、2人だけの世界がどんなに小さく、また他から密閉に隔離されているかを表す為と解釈。

【明け方には背いてだめな遊びをもっと】

睡眠時は人間が最も無防備になる時間である。と共に、「夢」を介して他の世界へ行くことができる時間である。親が子にぴったりと寄り添っているのは、例え夢の中であろうとも親の存在を忘れることは許さないという暗示。さらに、親と同じ位置に空いている子のピアスや、髪、身体を撫でている行動は、自分が与えた影響がある為に、一生逃がれることは出来ないという警告だろう。このシーンの途中でカーテンが揺れている場面がある。これは、この後のシーンであるアネモネの花が水の中で揺蕩うシーンと繋がっていると考えられる。密閉された空間で、変わらない親の愛情があることを照明していると考えられる。

【冷蔵庫の中身が伽藍堂】

冷蔵庫を開けるシーンが4回も繰り返されたのは、毎日 子は親に赤い液体を食べさせられていたことを表している。3回目に冷蔵庫の中が赤色だった所や、4回目には親自身が赤いライトで照らされていた点については、4回それぞれが別の時間であることを示している。

ドロドロになった赤い果実の液体は、親の飽和している愛情(液体の中には混ざりきってあない小さな固形が含まれている為)を表している。そして、それを親の手から子に直接食べさせる(子の体内に入れる)表現から、愛を翳して、子を自分好みに飼育(育てている)していることが分かる。

【君の吐くため息が聞きたいのさ】

花瓶に飾られているアネモネ花言葉は「君を愛す」であり、このアネモネ本体が子の親への愛を示している象徴である。アネモネの上に黒い影があることから、濁った愛情 つまり、清廉な愛ではないことが表されている。

子の横顔に白い光がさしている表現は、上記で述べた通り、子が清廉潔白で、親の行き過ぎた愛に対して何の疑念も抱いていないことを表していると推測。

食べさせる親の後に白い光がさしているのは、赤い液体には不純物が入っていないと、子に騙しつつ与えている様子を表していると思われる。このシーンで、子は何の疑いもなく、親の歪んだ愛情を受け入れ続けていることを暗示している。

【互い違う体を】

親が外の世界(マンションの廊下)で体を真っ黒な布で身を包んでいるのは、親自身も外の世界とシャットアウトしている為だと考えられる。親が外に出るのは、食料や子に必要なモノを調達するためだと思われる。

【逸る激情が わかってほしいと 不揃いな脈がもどかしいよ】

赤いドロドロとした液体から、赤い液体に変わったのは親の焦燥感からだろう。(ドロドロとした液体よりも、効き目が強いと推測)親が廊下を歩く→添い寝→液体に粉を入れる、というサイクルは 親が外の世界に触れた際に、このままでは子が自分(親)の元を離れてしまうと決めつけ、その焦りからより強い愛情表現にシフトしたことへの暗示だと考えられる。粉の正体は砂糖(奥に角砂糖が積まれているため)。砂糖の入れる分量が遥かに多いのは、液体が砂糖なしでは飲めないようにするため。つまり、依存させるためである。そして、空のシロップも放置されていることから、どのような方法が 1番依存度が強いのか、新たに強力な洗脳方法を探っている。(シンクにもう1つコップがあることが裏付け)

親が子の頭を自分の向いている方向に無理矢理固定をしたり、目を塞いだりしているのは、親の考えや価値観を子に植え付け、自分と同じ感性に育てる為だと推測。子の目を塞いでいるのは、子が間違って他の事に興味を持たないようにするため。親子以外の事から、それを遠ざけていることを表している。子は目を閉じ脱力している姿から、親の洗脳が完全にかかっていないことを示している。

3回目で親は子が目を閉じていること(自分の愛情がきちんと子に流れていない)に気付き、愛情を注ぐやり方(砂糖が巻き戻されるシーンは、また違う粉に変えたことを示している)が間違っていると思い、その方法を変えていると推測する。

【疑い合う頭も 嘘をつく喉も 今はいらないよ】

上記から、子が飲んでいる液体は今までのどの液体とも種類が違うことが分かる。

机がひっくり返っているのは、親の行き場のない焦燥感がイラつきに変わっていることを暗示している。親が頭を触っているのは、新しい液体(つまり、方法)を模索している為。親の前のグラスに液体が残っているのは、飲ませるための量が 余っていることを表している。つまり、子の液体の摂取量に満足していない為(親が受け止めて欲しい量を、子は全て受け止めきれていない)。

子が液体を飲む姿を親がじっと見つめている(疑っている)のは、子がきちんと飲み込んでいるかを確認するためだと推測。

【君が】

子が冷蔵庫の前で親を抱き締めているシーンは、親の働きかけが結び、依存が顕著になったことを表している。

グラスは親が子に与えたい愛情や執着心の器を表している。そのグラスが現状で 空になったということは、子に流しきれずに残っていた親の愛情が、液体分は全て子に受け止めてもらえたこと(子が親を抱きしめるシーンから)を示している。氷がまだ残っているのは、凍結された親の安心感だと推測。(氷が溶けると、液体の濃度が減る為)

【揺らす本能 火をつけろ 焦燥感にハウる衝動 僕はいま全てを知りたい】

浴室は睡眠同様、独りの時間である。浴室を子の心そのものと仮定(親自身の目線で)すると、親が浴室に居るということは 子の心に入り込んだ、踏み荒らしている、ということ。

親がマンションの外に出るシーンが増えている。これは、子からの依存の確信を持てた為に、この先ずっと、離れないだろうという過信を表している。

子の髪を念入りに梳いているのは、子が親へ示した行為(冷蔵庫の前で抱きしめたこと)に対しての褒美であると考えられる。子が行った行為を肯定することで、着実に子からの執着を育てるため。

アネモネの花が枯れていることから、「君を愛す」(自分の愛を受け止めてもらい、執着心をもってもらう)ことから、自分好みに 子を全て作り替えていくこと(親が自分好みで勝手に子の髪を梳いている為)に目的が変わっていることを示している。

シンクにライトが照らされているのは、アネモネに水を暫く与えていなかった為だと思われる。これを親子2人の関係に投影させると(上記で述べた通り、アネモネは子の親に対する感情の象徴である)、今まで飲ませていた液体を、与えることが疎かになっている為、洗脳が溶けつつあるということである。つまり、親は我執状態であり、子の変化に気付けていない期間なのだ。子はこの間に、親に対する執着心が薄くなっている。

【間違っていても 痛い思いをしてもいいと言えよ 不幸も君となら】

浴室にいる親の表現は、子からの執着心が薄れていると気付いていないことを照明している。親の向いている視線の方向と、子の視線の方向がそれぞれ違っている表現もそれを裏付けしている。子が親の目を塞いでいるのは、親が盲目的になっていることを表している。

親が子の顔を覗き込むシーンで、やっと子が自身へ向ける執着心が薄れつつあることを知る。

【早急にひらく瞳孔 今すぐに本当を 確かめるために生き急ぐ】

子はベッドに寝ているシーンから、親は急いで子と重なるように抱きしめるシーンへと変わる。上記で述べた通り、睡眠の時間は子が親から逃れられる唯一の時間である。これは、親の手が届かない領域に子が向かっていることを表していると推測する。行き場のない焦燥感と、離れないで欲しいという懇願を表していると考えられる。

奥にもう1つ畳まれた布団があることから、親の我執がより強く示顕されている。

床に枯れたアネモネが散らばっているのは、必死に子からの愛情を取り戻そうと足掻いているが、芳しくない結果になっていることを示していると思われる。

【変わらないでいてよ このままでいようよ

確かなのは今だけでしょう】

次々と新しいアネモネの花を用意している姿は、親がまた、急いで子に愛情、洗脳を掛けている姿を指していると推測できる。花瓶に生けられる花は、子の心の象徴であり、親へ向ける感情でもある。「枯れる」状態は、親へ向ける感情が弱まっていることを示している。強く依存していたのは子だけでなく、親自身も同じであったと、このシーンから読み取れる。

場面は再び密室の部屋となる。初めと同じような状況下に置くことで、もう一度初めからやり直そうとする親の心情が読み取れる。親が子の手を強く握り懇願しているが、子はその様子をじっと見つめている。このことから、親からの執着や愛を客観的に観察していると見える。

【どうやって示したらいい 悩ましいんだ】

親が子に幾つもの服を合わせ、自分の嗜好を押し付けているシーンは、子の自由な決定権を全て剥奪し、親が全てを掌握しようとする心理だと思われる。服がどれも白色なのは、子が純真無垢なままでいて欲しいという親の強い執着であることがわかる。

外から漏れる光の方を親がじっと見つめるシーンに切り替わる。この光は2人の世界を壊してしまうであろう、外からの影響の暗示で、親が必死に子に見せないようにしてきたモノだと考えられる。直ぐ近くまで光(外の世界に子が興味を持ってしまうことを恐れている)が来ていることに気付いた親は、外の世界に子が興味を持ってしまうことを恐れている。その後、焦ったように服を合わせる動作に戻ったことから、親が無理矢理それらを遮断しているようにも考えられる。

子が微動だにせず、じっと鏡を見つめているのは、自分が着せられている服(親から支配を受けている)に、疑念を抱いていることを示していると思われる。

【否応ないがリモートじゃ お決まりの疲労感さ】

1:48の1秒にも満たない、親が暗い部屋で子を抱き締めているシーンでは、しっかりと閉じていたはずのカーテンが開いている。これは、子の心が親から独立しつつあるとこを示しているのだろう。

親の持つ懐中電灯の光がピンクなのは、親の執着心や愛情を表している為だと考えられる。大きな花を映しているのは親で、子へ向ける愛情の象徴だろう。子が赤く染まっているのは、親の愛情を受けている現状を表していると思われる。青い四角形の光は、外の世界(つまり、子が親の元を離れてしまう元となる小さなきっかけ)で、強めの赤いライトが青を打ち消しているのは、子が親以外に興味を持ってしまわないように、無理矢理周りの世界(青ライト)との関わりを消していることを表していると思われる。

【ほらこうやって平伏せば 道化になって】

浴室が真っ赤になっており、親が覗き込むように見ているのは、以前よりも過干渉が増していることを示している。

子が親が照らす赤い花のライトを撫でるシーンは、子も、まだ親への執着心が捨てきれていないことを示している。

【全部曖昧にして終わりだ また君を押し倒した】

親がライトを照らしながら、じっと見ているのは子が花の形の光を触っているシーンで、青いライト(外の世界)が子に少しでも触れさせない為に、監視していることが分かる。

白い部屋の一室で、レースカーテンは全て閉まっているが、ドレープカーテンが完全に開いていたり中途半端に開いていたりするのは、親によって密閉されていた空間が、少しづつ崩壊していることを指していると思われる。

親が子を押し倒しているシーンは、外の世界へと出ていこうとするであろう(現状では親の被害妄想)子を無理矢理にでも引き止めていることを表していると考えられる。

【澄まし顔で再試行中 つまらない嘘を言うなよ】

「足を洗う」の言葉の意味は、清める、悪い行いをやめることである。つまり、浴室で親が子の足を洗っている場面は、親にとって悪い行いである、親以外の事に興味をもつことを辞めさせる為だろう。ここのシーンの赤と青のライトは、前のシーンの花と四角形のライトと同じ意味であることが考えられる。つまり、子の身体の半分が青に染まっていることは子が親に対する執着心を失いつつあるということで、親はその青を必死に(石鹸を使いより強力に)水で清めているということが分かる。バスマットが乱れて置かれているのは、親が一刻も早く、子を正さなければならないという焦りを表していると考えられる。

親が子を椅子に座らせて、顔を固定しているシーンでは、親と同じ価値観に戻そうと強制しているシーンだと考えられる。

浴室で親と子が対面している場面では、浴室は全て青く染まっている。つまり、青く染まってしまった子(親への執着心を失ってしまった)へ、親が責めたてている場面だと思われる。

親が浴室で1人でいる場面は、子の心を蹂躙していることを表しており、その親の表情から焦燥感が生まれていることが分かる。親が子をのぞき込んだり、子の足を洗い流しても、青く染まり続けているシーンから、親が必死に子を取り戻そうと奮起しているが、その行為が全て無駄であることを示していると考えられる。

【騙し騙しと気付いてる 今更引き返せないよ】

子がじっとドアを見ているシーンでは、親と離れるという選択肢に気付いたことを表していると思われる。赤いライトの細い線がドアを囲っているのは、親が今まで子に言い聞かせ続けた絶対に行ってはならない外の世界への境界線だろう。

【狡い魔法をかけて 汚されたくないのは

お互い様】

子が赤いライトの線に踏み出したシーンは、親からの執着を振り切り、自分の意思で離れることを決めたことを表していると思われる。

子が持っている花はフレンチマリーゴールド(勝手に仮定)で、親が持っている花はアネモネ。フレンチマリーゴールドの意味は「いつもそばに置いて」である為、子にも親への執着心があったことを示していると思われる。しかし、その後の花を食すシーンから、その執着心を抑えつつ次に進もうとする子の心情を表していると考えられる。このシーンで、花を捨てなかった理由は、親からの執着は愛であったことを少しでも気付いていたのではないかと考える。

一方、親は変わらずアネモネの花を持っており、今までと変わらない愛を子へと送ろうとしている。信号機が赤であることから、親に注意を暗示していると考えられる。

【間奏】

親が子を操り人形のように動かしているのは、今までの日常を表しており、最終的に糸が切れたかのように子が動かなくなってしまうのは、親の手の内から子が離れていってしまう未来を表していると考えられる。

【揺らす本能 火をつけろ】

狂ったように踊り続けている親から、焦燥感や悲しみ、怒りが感じ取られる。

【焦燥感にハウる衝動 僕は今すべてを知りたい】

いつもと変わらずにアネモネを運び続ける親。

子が鏡を見ている場面で、その背後に少しだけ赤いライトが映る。このライトは、親が子へと向ける愛情の表現ではなく、外の世界から光。つまり、2人の世界の崩壊を知らせる、危険信号であると考えられる。

【正しくなくても 意味などなくても構うなよ 絶望も君となら】

赤い光が大きくなっているのは、上記の危険信号が強くなっていることを表している。子はそれに気付く場面は、子が独立する決意を表していると考えられる。

親の靴が脱げたことにすら気付かずに歩いているシーンは、親自身が視野狭窄な状態で、周囲のことが一切目に入っていない。子のことだけを考え、依存し、執着し、それ以外のことがどうでも良くなっていることが分かる。

子がゆっくりと外界からの赤いライトに近づくシーンでは、隔離され支配されてきた親の元を離れようとしていることを表している。

【だって誰にわかるの 勝手知った仮想と 君だけに晒す本性】

親がアネモネともう片方の靴も捨て、一心不乱にマンションへと走る場面。これは、子が親の元を完全に離れてしまう事に気付き、取り返しのつかないことになる前に、子を引き留めようと焦っていることが分かる。

【このまま 変わらないで言い切って 今 愛しているって】

必死に子に向かい、懇願している親の腕を、子が掴んでいる。これは、親の愛情に対して明らかな拒絶を表していることを示していると考えられる。子が初めて自分の意思で親の執着心を振り切ったことを表している。

【確かなのはここにいる君だけ】

子は親の手を逃れて、自分の意思で、今までシャットアウトされてきたカーテンを開く。赤いライトは上記に述べた通り、今までの2人だけの世界の崩壊の危険信号を表している。子がそれに怯まずカーテン開いたことから、今までの二人の関係に終止符を打ったことが分かる。

【激白を君にだけ】

子が自らの手元から離れる壮大な喪失感。焦り、怒り、悲しみ、取り返しのつかない やるせなさが、親の表情から感じ取れる。

針金で縛られたアネモネの花は、親の心の中を表していると考えられる。アネモネは親の愛情で、子はそれが二度と自分に向けられないように拒絶した。つまり、アネモネに雁字搦めに巻きついた針金は、子の拒絶であると考えられる。

最後に親が遠のいていくシーンでは、取り残された親の孤独を表していると思われる。

 

 


以上のことから、共依存に陥っていた2人の世界の崩壊を表した曲であると推測します。歌詞から親の視点で語られていることは明白です。

親の心情としては、焦りが殆どを占めていたと思われます。

「焦燥感」「今」「逸る」「もどかしい」「早急」「生き急ぐ」は、歌詞中に出てきた文言です。どれも、時に関係のある言葉ばかり。何故、親はこの様に時に急かされていたのか。それは、親自身も子との関係が世間的に「良いもの」ではないと心では分かっていたからだと思います。子の執着心を育てることが、親の喜びであり、全てであることが今回解釈をして、分かりました。しかし、MVを見て親が注ぐ愛を、子が返しきれていないこともまた「焦燥感」を駆り立てる一原因であると私は考えます。

この「激白」の根本的な所には、「寂しさ」が存在するのかもしれません。恋愛関係、親子関係、友達関係。愛されたい、信頼が欲しい、満たされたい、ずっと自分の傍にいて欲しい。誰しもが持っている感情の暴走を表したのがこの曲だと私は考えています。

 

何度も「激白」のMVを繰り返し見ました。より、両者の気持ちを深くまで知りたくて、解釈している間は外の世界をシャットアウトして聞き続けました。

メロディが何処かノスタルジックで、そこがまたループする度に味を出してて。過去になればなるほど、いい曲だなって思います。

 

 

ここ違うなって、思った所は順次なおしていきたいと考えていますので 指摘等、大歓迎です。

ここまで見てくださった方 有難う御座いました。